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町並み感動度ランキング
町並み感動度ランキング

知覧武家屋敷通り(鹿児島県南九州市)
江戸時代、薩摩藩は領内を「外城(とじょう)」と呼ばれる行政区画に分けて統治しており、知覧はその外城の一つでした。知覧の武家屋敷群は、現在も往時の姿を見事に残しており、1981年(昭和56年)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
石見銀山・大森の町並み(島根県大田市)
1527年(大永7年)に発見され博多の豪商・神屋寿禎によって開発された石見銀山は、江戸時代に入ると最盛期を迎え谷筋に沿って街路・町並みが展開し数万人が集まるほどの繁栄したと言われています。1923年(大正12年)に石見銀山は閉山しましたが、大森地区には往時の町並みが残されており、1987年(昭和62年)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。また、2007年(平成19年)には「石見銀山遺跡とその文化的景観」として世界遺産に登録されました。
高山の町並み(岐阜県高山市)
1695年に高山城が破却されたのち旧城下町は町人地となり、飛騨地方の商業の中心地として栄えました。現在も江戸時代後期から明治時代にかけての建築が数多く残されています。三町(さんまち)と言われる地域は1979年(昭和54年)に高山市三町伝統的建造物群保存地区の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。
奈良井宿(長野県塩尻市)
奈良井宿(ならいじゅく)は、中山道のちょうど真ん中34番目の宿場です。木曽路十一宿の中では最も標高が高い宿場で、約1kmにわたって町並みを形成する、日本最長の宿場町でもあります。「奈良井千軒」といわれ多くの旅人で栄えた奈良井宿は当時の町並みが現在までほぼ完全に保存されています。
妻籠宿(長野県南木曽町)
妻籠宿(つまごじゅく)は中山道42番目、長野県木曽郡南木曽町にある宿場町です。中山道と伊那街道が交差する交通の要として古くから賑わいました。現在は馬籠峠を挟んで隣接する馬籠宿とともに木曽路を代表する観光名所となっています。
高野山(和歌山県高野町)
816年(弘仁7年)に空海によって開かれた高野山は、全域が総本山金剛峯寺の境内地とされ「一山(いっさん)境内地」と言われています。現在は「壇上伽藍」を中心とした町並みが広がっていて、寺院数は総本山金剛峯寺、大本山宝寿院のほか、子院が117寺に及びます。
本島町笠島の町並み(香川県丸亀市)
本島の笠島地区は天然の良港であったため、戦国時代までは塩飽水軍の本拠として、江戸時代には塩飽廻船の根拠地として廻船問屋を中心とした町並みが形成されていきました。1720年代には幕府からの命によって廻船問屋と船舶を大阪の廻船業者に譲ることになりましたが、笠島の人々は船舶建造の技術を生かし「塩飽大工」として各地で活躍しました。
白川郷(岐阜県白川村)
日本の原風景ともいうべき美しい景観をなすこの合掌造り集落を見ることができます。1995年には五箇山(富山県)とともにユネスコの世界遺産に登録されました。
御手洗の町並み(広島県呉市)
「潮待ち風待ち」に適した天然の良港として注目されていた御手洗は、1666年(寛文6年)に広島藩によって町割りが行われたことによって誕生しました。江戸時代に港町として繁栄し幕末動乱の舞台ともなった御手洗には、現在もお茶屋や船宿、町屋などが数多く残り、1979年(昭和54年)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
関宿(三重県亀山市)
関町は古くから交通の要衝で古代三関のひとつである伊勢鈴鹿の関がおかれていました。江戸時代には東海道47番目の宿場町として参勤交代や伊勢参りの人々で賑わいました。現在も江戸時代から明治にかけて建てられた200軒あまりの町屋が見事に残されています。
吹屋の町並み(岡山県高梁市)
吹屋の町並み(岡山県高梁市)の町並みを訪れました。江戸時代に日本で始めてベンガラの生産に成功し日本唯一の産地として繁栄しました。褐色のベンガラの町並みは他には見られない独特の雰囲気を作り出しています。
ひがし茶屋街の町並み(石川県金沢市)
江戸時代になると城下町近郊を流れる犀川(さいがわ)と浅野川の界隈に多くの茶屋が立ち並ぶようになり、1820年(文政3年)は加賀藩の許可を得て、犀川(さいがわ)の西側に「にし」の茶屋町、浅野川東側に「ひがし」の茶屋町が開かれて大変賑わいました。
富田林の町並み(大阪府富田林市)
富田林寺内町は興正寺別院を中心とした宗教自治都市として室町時代に整備されました。江戸時代になると幕府の直轄地となり、近くを流れる石川の水運、東高野街道・千早街道が交差する陸運に恵まれ、南河内随一の商業の町として大いに発展しました。
竹原の町並み(広島県竹原市)
江戸時代に開発された竹原塩田によって竹原は全国にも知られた塩の名産地となり、塩によってもたらされた富によって漆喰塗籠の町屋が並ぶ重厚な町並みが築かれました。竹原塩田は1959年(昭和34年)に廃止となりましたが、現在も往時の町並みが残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
相倉合掌造り集落(富山県南砺市)
相倉集落(あいのくらしゅうらく)は、南北に約500m、東西に約200〜300mのエリアに20棟の合掌造り家屋が現存しています。現存する合掌造り家屋の多くは江戸時代末期から明治時代末期に建てられたもので、平入りが中心の白川郷とは異なり妻入りの家屋がほとんどです。
菅沼合掌造り集落(富山県南砺市)
菅沼集落は、南北に約230m、東西に約240mのエリアに9棟の合掌造り家屋が現存しており、うち4棟は居住家屋です。五箇山では古くから塩硝づくり、養蚕、紙すきなどが行われていました。特に塩硝づくりは江戸時代には加賀藩の援助を受けたことにより発展しました。
出水麓武家屋敷群(鹿児島県出水市)
江戸時代、出水麓(いずみふもと)は薩摩藩で最も古く大規模な麓で、藩最大の武家屋敷群を構築していました。現在も、碁盤の目のような町割りや川石を積み上げた石垣や生垣など、400年前とほとんど変わらない風景が残されています。
熊川宿の町並み(福井県若狭町)
小浜(福井県)と今津(滋賀県)のほぼ中間の山峡にある熊川宿は、物資流通の中継拠点として江戸時代を通して鯖街道随一の宿場町として繁栄しました。現在においても宿場町の特徴を残す伝統的な建築物が数多く残されており、1996年には重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。
近江八幡の町並み(滋賀県近江八幡市)
近江八幡は江戸時代に湖上や陸上の交通の要衝地として発展し、近江の商人は八幡を本店として江戸や大坂に進出するなど活躍の範囲を広げていきました。現在においても、近江八幡の旧市街地の碁盤目状の整然とした区画には近江商人本宅の家々が数多く残されており、往時の繁栄の姿を偲ぶことができます。
加賀東谷の4つの集落(石川県加賀市)
加賀市の山間にある4つの集落からなる加賀東谷(ひがしたに)は、近世から昭和前期にかけて炭焼きを主産業としてきた地域です。東谷沿いに炭を運んでいた荒谷、今立、大土、杉水の4つの集落には、現在においても、明治から昭和初期に建てられた桟瓦と煙出をもつ伝統的建造物群が、美しい自然と一体となって独特な歴史的風致を形成しており、2011年(平成23年)には重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
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