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街道東城路の町並み(広島県庄原市)


2026年2月12日
古い町並み , 広島県

【町並み感動度】
★★★★★
★★★★★62

町並み保存度
★★★★★
★★★★★50
街道東城路に沿って、見応えのある歴史を感じる町並みを見ることができます。
町並みの規模
★★★★★
★★★★★50
古い町並みが残るエリアはそれほど広くありませんが風情のある町並みは見応えがあります。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★60
桝形がある新町筋や本町の町並みの雰囲気は素晴らしく、時代ごとに業種を変遷した山楽荘は一見の価値があります。

東城は、岡山県新見へ向かう備中新見路と、福山へ向かう東城路が交差する場所に発展した城下町です。
日本海と瀬戸内海のほぼ中間に位置し、山陰と山陽を結ぶ陰陽連絡街道の中継地として重要な役割を担ってきました。

このため、備後国北部における物資の集散地として栄え、山間部からは鉄や米、沿岸部からは海産物や塩などが集められました。宿場町としてもにぎわい、中国地方各地から街道が集まる交通の要衝でもありました。

現在も、江戸時代創業の酒蔵や酢の醸造場、屋久杉や檜をぜいたくに使った明治中期の数寄屋造の元旅館などが残り、往時の面影を色濃く伝えています。
東城の町並み約600メートルは、歴史と文化を今に伝える中国地方の街道として、2009年(平成21年)度に「夢街道ルネサンス」に認定されました。


目次

「夢街道ルネサンス」認定の東城の町並み


街道東城路に沿って広がる東城の町並み


東城の町並み(広島県庄原市)
室町時代に、宮景友氏が五本竹城(のちの世直城・五品嶽城)を築きましたが、その後、本拠を西へ約1.6km離れた大富山城へ移したため、旧城は「東の城」と呼ばれるようになり、これが「東城」という地名の由来とされています。

東城の町並み(広島県庄原市)
町並みは、東城川に沿って南北に細長く広がり、商人や職人が暮らした本町を中心に、西側には武家屋敷の並ぶ館町、東側には舟運で栄えた宿場町・浜栄町が配置され、これらを結ぶ小路によって構成されています。

東城の町並み(広島県庄原市)
城下町の名残として、外敵の侵入を防ぐため、見通しを遮る「枡形」と呼ばれる街路も残されています。城は一国一城令により廃されましたが、東城は陰陽を結ぶ交通の要衝として重要な役割を担い続けました。

東城の町並み(広島県庄原市)
宿場町として、また、たたら製鉄の発展とともに商工業の町として栄え、独自の文化と町並みが育まれました。

東城の町並み(広島県庄原市)
現在でも新町筋には、格子窓、板のれん、小縁など伝統的な町家の意匠を受け継ぐ建物が並び、東城ならではの歴史ある景観を楽しむことができます。

東城の町並み(広島県庄原市)

三楽荘(旧保澤家住宅)


山楽荘・東城の町並み(広島県庄原市)
三楽荘(旧保澤家住宅)は、明治時代に東城の名匠と称された棟梁・横山林太郎によって建てられた、東城を代表する町家建築です。

山楽荘・東城の町並み(広島県庄原市)
保澤家住宅建築当時の当主・保澤定四郎は、呉服反物商や醤油醸造業を営んでいましたが、昭和24年に曾孫の保澤洵が旅館業へ転業し、以後約60年間、旅館「三楽荘」として多くの人々に親しまれてきました。

山楽荘・東城の町並み(広島県庄原市)
明治期に建てられた本館・離れ・土蔵がそろって現存していることや、現在では入手困難な良材の使用、欄間などの精緻な装飾が高く評価され、2011年(平成23年)に国の登録有形文化財に登録されました。

山楽荘・東城の町並み(広島県庄原市)
現在は、庄原市が東城の歴史と文化を伝える施設として無料で公開されています。山楽荘が現役の旅館であったころの昭和の写真も展示されていました。

アクセス


【電車でのアクセス】
JR東城駅から街道まで徒歩約5分
【車でのアクセス】
下の地図の場所の庄原市東城まちなか駐車場(無料)を利用できます。





訪問日:2025年12月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、東城の町並みについての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。


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