【町並み感動度】 |
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町並み保存度
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江戸時代からの建物が見事に歯抜けなく広範囲にわたって保存されております。 | |
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町並みの規模
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寺内町は大変広大で、東西約400メートル、南北約350メートルにも至り、現在においても当時の町並みが広範囲に渡ってそのまま残されています。 | |
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観光魅力度
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古い時代の建築物が見事に保存された町並みでありますが、それほど観光化されているわけではなく、ほとんどがそのまま住居として現在も使用されていて、リアルなありのままの町を見学できるのが魅力です。 |
富田林寺内町は興正寺別院を中心とした宗教自治都市として室町時代に整備され、堀や土塁、出入口4か所に構えた木戸門によって防御され、町の治安を守っていました。
興正寺別院は1558〜1561年(永禄初年頃)に京都興正寺の証秀上人が4か村より集めた八人の有力者によって建立されました。
江戸時代になると幕府の直轄地となり、近くを流れる石川の水運、東高野街道・千早街道が交差する陸運に恵まれ、南河内随一の商業の町として大いに発展しました。
寺内町は大変広大で、東西約400メートル、南北約350メートルにも至り、現在においても当時の町並みが広範囲に渡ってそのまま残されています。
目次 ・アクセス |








杉山家は寺内町創立以来の旧家で、江戸時代を通じて富田林八人衆の一人として町の経営に携わってきました。1685年(貞享2年)に酒造株を取得してからは、造り酒屋として成功しました。
富田林寺内町の古い民家の中でも最も古い遺構で、1983年(昭和58年)に重要文化財に指定されました。
明星派の歌人 石上露子(いそのかみ つゆこ)の生家でもあります。


興正寺別院は1558〜1561年(永禄初年頃)に京都興正寺の証秀上人が4か村より集めた八人の有力者によって建立されました。
富田林の寺内町はこの興正寺別院を中心として整備されました。



富田林寺内町の町並みはどこを切り取っても絵になります。これだけ大きな規模の町並みがほぼ完全な状態で保存されているのは本当に素晴らしいです。








【電車でのアクセス】
大阪市内から近鉄電車で富田林駅まで30分。駅から寺内町(じないまち)までは徒歩約10分です。
【車でのアクセス】
下記地図の場所に富田林市営東駐車場(有料)があり便利です。その他寺内町(堺筋沿い)にコインパーキングがあります。
訪問日:2022年7月
最後まで見ていただきありがとうございます。
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