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古い町並み
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東海道・島田宿(静岡県)
東海道・島田宿(静岡県島田市)

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町並み保存度
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町並みは旧東海道沿いに復元・保存されている野外ミュージアムとなっていますが、旧街道の雰囲気が十分に味わえます。
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町並みの規模
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町並みの規模はそれほど大きくありません。
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観光魅力度
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復元された町並みや各建物の展示は素晴らしく、海野光弘版画記念館や島田市博物館などは大変見応えがあるものになっています。
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1601年(慶長6年)、徳川家康は江戸を中心とした東海道の整備に着手しました。
東海道には多摩川、安倍川、大井川、天竜川など多くの大河があり、一部には橋が架けられたものの、多くの川は船や徒歩で渡るしかありませんでした。
大井川の東西に位置する島田宿と金谷宿も、この年に宿場として指定されました。しかし大井川では、橋を架けることも渡し船を使うことも禁じられ、人も荷物もすべて「歩行越し(かちこし)」で渡るよう定められていました。
交通量が増えるにつれて、川を安全に渡るための仕組みが必要となり、元禄9年(1696年)には幕府の代官所によって川越の方法や料金制度が整備されました。この制度は明治初期まで続けられました。
ここ島田宿の大井川川越遺跡は、1966年(昭和41年)に国の史跡に指定されました。遺跡内には、当時の「川会所」や「札場」、「仲間の宿」、「三番宿」など、川越に関わる建物が復元されています。「川越しの歴史」を復元展示によって今に伝える日本で唯一の史跡となっています。
島田宿の大井川川越遺跡

「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」と詠われたように、大井川は東海道でも屈指の難所でした。かつての川越しの拠点であったこの地は、現在「島田宿大井川川越遺跡」として国の史跡に指定されています。
大井川が増水して川越しが禁止されると、江戸から京都方面へ向かう旅人が島田に足止めされ、町はまるで江戸のような賑わいを見せたといわれています。
長雨が続くと、滞在費や遊興費で旅の資金を使い果たしてしまうことも少なくなかったようで、宿が満員になったり、所持金が尽きたりした旅人が民家を借りて滞在したことから、島田宿の旧東海道沿いには今も「御仮屋(おかりや)」という地名が残っています。
島田は大井川上流から切り出された木材の集積地としても栄えました。元禄期には運河が開かれ、栃山川や木屋川を経て、和田湊(現在の焼津漁港南部)から江戸へと木材が運ばれたといいます。
大井川の川越制度と川越人足

大井川は箱根と並ぶ東海道の難所として知られていました。ここで旅人を渡していたのが「川越人足」と呼ばれる屈強な男たちでした。彼らは季節や天候にかかわらず、体ひとつで急流に立ち向かい旅人を運びました。
川越人足 雲竜の入れ墨(川原慶賀・1786年〜没年不詳)
この作品は、シーボルトの命により川原慶賀が描いた、大井川の川越人足を題材とした浮世絵です。川原慶賀が描いた川越人足たちの体には、それぞれ個性的で鮮やかな入れ墨が施されており、シーボルトはその姿に強い興味を示しました。彼は慶賀に命じて、彼らの力強く誇り高い姿を記録させたと伝えられています。
海野光弘版画記念館

海野光弘(うんの みつひろ)1939年(昭和14年) - 1979年(昭和54年)
海野光弘氏は、日本各地を旅して古民家や里山、農村など、日本の原風景を版画で描き続けた版画家です。1939年、静岡市新富町に生まれ、中学時代から版画制作に熱中しました。1964年に発表した作品「触」が日本版画協会奨励賞を受賞。その後も多くの作品を制作・発表し、1972年には「対話の山」で静岡県芸術祭賞を、1977年には「縁通し」でスイス美術賞展優秀賞を受賞するなど、高い評価を受けました。
島田市で企画展が開かれたことをきっかけに、海野氏の夫人から作品の寄贈を受け、2000年に「海野光弘記念館」が開設されました。美術好きだけでなく古い町並みが好きな方も楽しめる素晴らしい作品の数々が展示されています。
島田市博物館

江戸時代後期の大井川の歴史、島田宿、川留め文化を紹介しており、見応えのある内容になっています。この建物は本館ですが、海野光弘版画記念館を含む分館も同じチケットで観覧できます。
観覧料・開館時間など詳しくは
島田市博物館のウェブサイトでご確認ください。
アクセス

【電車でのアクセス】
JR島田駅北口より徒歩約25分
【車でのアクセス】
下の地図の場所の島田市博物館 駐車場(無料)を利用できます。
訪問日:2025年10月
最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、東海道・島田宿の町並みについての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。
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裕人
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2025/10/25 09:58
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島田市といえば蓬莱橋の風景で有名ですが、江戸時代に大井川を渡るためには、人足に肩車をしてもらうか、台というみこしのような乗り物に乗って担いでもらっていたところですよね。今とは違いなかなかの激流だったのでしょうか。やっと歩けるぐらいの「川越し」ができる状態だったようだと聞いていますが、人の力が物を言う時代だったと痛感しています。料金所(川会所)や、人足の待合所(番宿)などの風景を再現されていて、ほかの町並みとは違うテーマの場所ですよね。ちなみに蓬莱橋はかなりの観光客でいっぱいでした。
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なおきち(古旅管理人)
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2025/10/27 09:30
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WEB
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島田宿は再現ではありますが、しっとりと落ち着いた町並みで風情がありました。 それぞれの建物内や博物館での展示もよかったです。 「川越し」は天候にも左右されますし、そうとう危険だったんでしょうね。 料金によって安全性・快適性などに大きな差が出ること、足止めされている間に遊興費で旅の資金を使い果たしてしまう旅人や、刺青の川越人足など、なんとなく当時のリアルな町の雰囲気が感じられるものでした。 蓬莱橋は今回は行けませんでした。次回は是非見てみたいと思います。
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