古旅 日本の古い町並み

石見銀山・大森の町並み(島根県大田市)


2024年9月12日  古い町並み , 重要伝統的建造物群保存地区 , 島根県

【町並み感動度】
★★★★★
★★★★★98

町並み保存度
★★★★★
★★★★★97
谷筋に沿って途切れることなく続く町並みは圧巻です。
町並みの規模
★★★★★
★★★★★100
古い町並みのエリアは1km以上に渡って続きます。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★97
良く保存された町並みに加え、石見銀山の間歩や関連の史跡など見所が多く一度は訪れたい場所です。

石見銀山は1527年(大永7年)に発見され、博多の豪商である神屋寿禎が本格的に開発を始めました。当時、石見地方を支配していたのは戦国大名の大内氏で、大内氏は中国や朝鮮との貿易を行い、博多を拠点にしていた富裕な大名でした。神屋寿禎は大内氏の保護の下で貿易を拡大し、石見銀山の開発に大きく関与しました。

しかし、1550年代(天文年間)に大内氏が内紛により滅亡すると、石見銀山を巡って戦国大名の争いがおこりましたが、1561年(永禄4年)、毛利氏が銀山を制圧し、その後の支配者となります。

江戸時代に入ると、徳川家康は有能な大久保長安を石見銀山の奉行として重用し、銀山の運営を強化しました。銀山の最盛期は1620〜1640年代(元和から寛永年間)で、この時期には谷筋に沿って街路・町並みが展開し数万人が集まるほどの繁栄したと言われています。しかし、坑道が深くなるのに従って作業が困難になり、出水対策などのコスト増加により、銀の生産量は次第に減少していきました。

1800年(寛政12年)には大森地区は大火により大部分が焼失する被害を受けましたが、行政命令のもと防火対策を施しながら再建され、旧来の町並みを取り戻しました。

1923年(大正12年)に石見銀山は閉山しましたが、大森地区には往時の町並みが残されており、1987年(昭和62年)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。また、2007年(平成19年)には「石見銀山遺跡とその文化的景観」として世界遺産に登録されました。


目次

大森の町並み


石見銀山の大森の町並み(島根県大田市)
石見銀山は近世に幕府の直轄地となり、銀山奉行が置かれて繁栄しました。『銀山旧記』には人口が20万人とありますが、これは誇張とされるものの、当時の繁栄ぶりは間違いありません。

石見銀山の大森の町並み(島根県大田市)
1800年(寛政12年)には大森地区は大火により大部分が焼失しました。現在の町並みは大火のあとに行政命令のもと防火対策を施しながら再建されたものです。

石見銀山の大森の町並み(島根県大田市)
石見銀山は1923年(大正12年)に閉山して以降、人口減少は続いています。しかし、1987年(昭和62年)に国の重要伝統的建造物群保存地区に、2007年(平成19年)には「石見銀山遺跡とその文化的景観」として世界遺産に登録され、町並みは現在まで見事に保存されています。

石見銀山の大森の町並み(島根県大田市)
1km以上に渡って途切れることなく続く町並みは圧巻です。

寺脇家
寺脇家
寺脇家は寛政の大火(1800年)後に建てられた大森の標準的な住居です。大火の後、代官所は防火のために茅葺き屋根を禁止し、瓦葺きまたは板葺きの屋根にするよう命じました。

金森家住宅
金森家住宅
江戸時代には、商家の泉屋川北家がこの地に住まいを構え、酒造業を営みながら年寄りや郷宿、拝借人宿の役割も果たしていました。現在の建物の地下には、江戸時代中期に郷宿として使われていた建物の跡が残っており、県指定の史跡となっています。金森家住宅は、大森町において重要文化財の熊谷家住宅に次いで規模が大きい町家建築です。1850年(嘉永3年)に建てられた主屋は、二階に本格的な座敷を持ち、屋敷の配置も含めて大森町の有力商家の特徴を示しています。そのため、主屋や土蔵などが県指定の有形文化財に指定されています。

渡辺家
渡辺家
この建物は、かつて代官所に勤めていた銀山附地役人・坂本氏の家で、銀山町(銀山柵内)に残る唯一の地役人の居宅です。初代の清左衛門は石見国出身で、1604年(慶長9年)に初代奉行・大久保長安によって銀山附地役人として任命され、その後も代々銀山の管理を担当しました。建物は、通りに面して土塀を巡らせ、前庭を設け、奥に主屋を配置する武家屋敷の特徴を持っています。主屋は1811年(文化8年)に建てられ、大きな改造はされていません。

石城山 観世音寺
石城山 観世音寺
岩山の上に建つ観世音寺(かんぜのんじ)は、江戸時代には大森代官が銀山の繁栄を祈願するための祈願寺でした。本堂のほか、山門と鐘楼が現在も残っています。しかし、街並みの多くが焼失した寛政の大火(1800年)によって観世音寺も全ての建物が消失しました。本堂や山門は1860年(万延元年)に再建されたものです

石見銀山の大森の町並み(島根県大田市)
石城山からは大森の町並みを一望できます。

いも代官ミュージアム


いも代官ミュージアム
いも代官ミュージアム
第19代の石見代官・井戸平左衛門は享保の大飢饉の際、鹿児島からサツマイモの種芋を取り入れ、その栽培を広めました。このおかげで、後の飢饉で多くの人々が助かりました。地域の人々は感謝の気持ちを込めて「いも代官」と呼びました。いも代官ミュージアムでは、井戸平左衛門の業績や功績を現存する史資料から紹介しています。

石見銀山 龍源寺間歩


龍源寺間歩
龍源寺間歩
間歩は鉱山の掘り口のことで、龍源寺間歩は石見銀山遺跡で唯一、常に公開されている坑道です。壁には当時ノミで掘った跡が残り、100mの竪坑も見られます。石見銀山の歴史を体感できる場所です。

羅漢寺 五百羅漢


羅漢寺 五百羅漢
羅漢寺の五百羅漢は18世紀中頃、銀山で亡くなった人々を供養するために建立されたもので、石橋や祈念塔は石見の高度な石工技術を示す代表的な例です。

アクセス


【電車でのアクセス】
JR太田市駅から路線バス(石見交通)で「大森代官所跡」バス停、または「大森」バス停まで約30分。
時刻表、料金は石見銀山世界遺産センターのウェブサイトでご確認ください。
石見銀山バスマップのPDFファイルをダウンロードできます。

【車でのアクセス】
下の地図の場所に無料駐車場(石見銀山公園駐車場)があります。



訪問日:2024年5月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、大森の町並みについての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。




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