目次 ・萩城址 |
山口県萩の町並みを訪れました。
旧萩城の城下町は碁盤目状に区画され武家屋敷が軒を連ねていました。現在でも往時の面影をとどめています。白壁となまこ壁や黒板塀の美しい町並みが続き、維新の志士ゆかりの地も点在しています。
散策していると萩の特産である夏みかんの木があちらこちらで見られます。白壁や土塀から夏みかんの実をのぞく風景は、萩ならではの景色として愛されています。
幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地になります。
産湯に使ったと伝えられる井戸や自作の句碑などがあります。
二宮家長屋門は高級武士の住むエリアだった堀内の一角にあります。
二宮家は萩藩大組に属し、美祢郡嘉万村(現在の美祢市)に領地を持つ毛利元就の未子の子孫の家系でした。
門の向こうに建物はなく現在は更地になっています。
萩城下に残る上級武士の屋敷としては古く武家屋敷の一遺例として貴重なもので、主屋と表門が国の重要文化財に指定されています。
鍵曲(かいまがり)は直角に曲がった独特な道筋です。
このあたりは藩政時代の城内三の丸にあたり武家屋敷が並んでいた場所。江戸時代の面影を残す萩の特徴的な風景になっています。
毛利家一門のひとつである厚狭毛利家の武家屋敷。萩に現存する武家屋敷のなかで最大の大きさだそうです。長い壁が続きます。
萩城は慶長9年(1604)に毛利輝元が築城しました。
指月山麓に築城したことから指月城とも呼ばれています。
明治7年(1874)に天守、矢倉などの建物は全て解体され、現在は石垣と堀の一部が残っています。
江戸時代中期の代表的な武家屋敷長屋の様式を色濃く残しています。
木戸孝允は天保4年(1833年)この家に生まれ、江戸に出るまでの約20年間をこの家で過ごしました。
萩藩校明倫館の跡地に建つ日本最大の木造校舎だそうです。
平成2014年3月まで授業が行われていましたが、2017年3月からは観光起点「萩・明倫学舎」となっているようです。