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御手洗の町並み(広島県呉市)
御手洗の町並み(広島県呉市)

町並み保存度
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江戸時代からの古い町並みが広範囲にわたって見事に残されています。
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町並みの規模
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大変広範囲にわたって伝統的な街並みが美しく保存されています。一つの集落すべてが江戸時代から昭和の建物が連なる古い町並みといった感じがします。
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観光魅力度
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町の中に一歩入ると素晴らしい景色が広がります。謂れのある建物など見どころも多くゆっくり時間をかけて散策できます。島ではありますが橋がつながっておりアクセスしやすいのも魅力です。
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「潮待ち風待ち」に適した天然の良港として注目されていた御手洗は、1666年(寛文6年)に広島藩によって町割りが行われたことによって誕生しました。
北前船の西廻り航路の整備されると、千石船などの大型船が往来するようになり、御手洗は港町として急速に発展しました。
幕末になると、広島藩が軍艦や洋式銃を購入するため、御手洗で薩摩藩との密貿易を始め、後に長州藩も加えて1867年(慶応3年)に「薩長芸軍事同盟」を締結しました。
大政奉還の混乱の際には広島藩と長州藩の艦隊が御手洗に集結し、軍事協定「御手洗条約」を結び共に京に出陣しました。
江戸時代に港町として繁栄し幕末動乱の舞台ともなった御手洗には、現在もお茶屋や船宿、町屋などが数多く残り、往時の面影を伝える貴重なものとなっています。
1979年(昭和54年)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
御手洗の町並みギャラリー

御手洗の町の中に一歩入ると素晴らしい景色が広がります。
江戸時代からの古い町並みが広範囲にわたって見事に残されています。
江戸から昭和まで様々な時代と形式の建築があります。
若胡子屋敷

この建物は、1724年に広島藩から免許を受けたお茶屋(遊郭)の跡で、百人以上の遊女がいて西日本一の遊郭と言われていました。
若胡子屋敷は有名なお歯黒事件の舞台でもあります。※2022年11月時点では内部公開は中止されていました。この写真は2014年6月のものです。
旧金子家住宅

この建物は江戸時代に文人墨客や広島藩の要人など様々な賓客を接待するため御手洗の庄屋役を勤めた金子家によって建てられました。天井板や床板に書かれた墨書から1823年(文政6年)に京都で造られた茶室を一度解体して御手洗まで運ばれてきたことがわかっています。1867年(慶應3年)に広島藩と長州藩が「薩長芸軍事同盟」を締結した場所でもあります。
旧柴屋住宅

町年寄庄屋役であった高橋家(屋号柴屋)の別宅です。1806年(文化3年)、伊能忠敬が島の測量のため滞在しました。その測量の様子が「御手洗測量之図」として残されています。
建物の中は無料で公開されています。伊能忠敬の測量に関する資料も残されています。
御手洗常盤町通り

平野・山田家住宅
木材の風食などから見て、19世紀前半の建築と推測されています。
今崎家住宅(写真左)
平野・山田家住宅より少し新しい時期に建築されたと考えられています。通常の町屋に比べ梁組がかなり低い位置にあるのが特徴です。
川崎家住宅
建物の形式から見て天保年間(1830年〜1844年)に建築されたものと推測されています。
北川家
1759年(宝歴9年)の大火の後に建てられたと考えられています。千本格子や木格子のある厨子二階の窓が印象的な建物です。
蛭子町

脇屋家住宅 本薩摩藩船宿
建物の形式から文政年間(1818〜1830)の建築と推測されています。
鞆田家住宅
御手洗ではかなり大きな鞆田家は1868年(明治初年)ごろに建築されたものと考えられています。
御手洗昭和館

ホーロー看板や懐かしい昭和のグッズが展示されています。
乙女座

乙女座
1937(昭和12年)、御手洗の文化興隆のために町長が私財を投じて建設した劇場です。戦後は映画館とて利用され親しまれたが、昭和40年代半ばに廃業しました。2002年(平成14年)に復元され現在は有料で内部を見学できます。
満舟寺

満舟寺の石垣
この石垣は伝承によると1585 (天正13) 年の豊臣秀吉による四国攻めの際、前線基地として加藤清正が築いたものとされており市の文化財に指定されています。
満舟寺は平安時代に平清盛が行基作の十一面観音像を安置したといわえる古刹です。
栗田樗堂の墓
正岡子規に「四国第一の俳人」と称された栗田樗堂は、御手洗を終焉の地と定め1807年(文化4年)に移り住み、1814年(文化11年)に66歳の生涯を終えました。自然石に彫られた「樗堂墓」の文字は樗堂の自筆です。
天満神社

天満神社
天満宮の起こりは1755年(宝暦5年)に近くの満舟寺境内に天神社が創建されたことに始まり、1871年(明治4年)に現在の場所に移されました。現在の社殿は1917年(大正6年)に建てられたものです。
平安時代前期の901年(延喜元年)菅原道真が太宰府へ流される途中、この井戸で手を洗ったことが「御手洗」の由来と伝えられています。書道の神様と称された菅原道真にちなんで、この井戸の若水で書初めをすると書道が上達するという伝承もあります。
可能門
本殿の真下に通路があり「可能門」と称されています。この門をくぐると願い事が一つ叶うといわれています。ご神体の真下から願掛けをするという様式は、他には例がないものになっています。
恵美須神社

御手洗で最も古い神社で港の繁栄のために豊前国小倉から祭神を移したといわれています。現在の本殿は1739(元文4年)に、拝殿は1764年(明和元年)に再建されたものです。
アクセス

【バスでのアクセス】
広島駅南口(新幹線口)バス停から約2時間9分
呉駅前バス停から約1時間33分
中国労災病院バス停(JR新広駅・呉市広市民センター付近)から約1時間31分
【車でのアクセス】
下の地図の場所に無料駐車場(御手洗かもの駐車場)があります。
訪問日:2022年11月
最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、御手洗の町についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。