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古い町並み
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高野山(和歌山県高野町)
高野山(和歌山県高野町)

町並み保存度
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鎌倉時代〜江戸時代に建立または再建された寺院群が非常に程度よく数多く残されています。
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町並みの規模
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山内の多くの部分が国の史跡に指定され、世界遺産の構成要素となっており、その範囲は大変な大きなものになります。
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観光魅力度
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山上盆地に広がる町並みや寺院群は他にない雰囲気があり、お土産店や飲食店なども多く誰もが楽しめる場所です。
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平安時代の816年(弘仁7年)に空海(弘法大師)によって修禅の道場として開かれた高野山は、全域が総本山金剛峯寺の境内地とされ「一山(いっさん)境内地」と言われています。
実は「高野山」というのは山の名称ではなく、高野山金剛峯寺の山号であり、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの山上盆地の呼称でもあります。
現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とした町並みが広がっていて、寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺、大本山宝寿院のほか、子院が117寺に及びます。また山内の寺院の約半数が宿坊を兼ねています。
2004年、高野山町石道と金剛峯寺境内、建造物12件が熊野、吉野・大峯と共に「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産に登録されました。
高野山

大門

高野山全体の総門で、高野町石道で高野山に登るとまずこの大門が現れます。
現在の大門は1705年に再建されたもので国の重要文化財・世界遺産の登録されています。
大門
壇上伽藍

壇上伽藍は、空海(弘法大師)が高野山を開く際に、真っ先に造営した場所で、奥之院とともに高野山の二大聖地の一つとされています。
密教思想に基づく曼荼羅(まんだら)の世界観を具現化したものといわれ、高野山全体の総本堂である「金堂」や高野山のシンボルともいえる高さ48.5mの「根本大塔」など19もの諸堂が建ち並んでいます。
東塔
東塔は白河法皇の御願により1127年(大治2年)に完成しました。江戸時代に再建された塔が1843年(天保14年)に焼失した後140年を経て、1983年(昭和58年)に現在の塔が再建されました。
三昧堂
1177年(治承元年)に歌人西行法師によって大会堂とともにこの地に移築造営されました。現在の堂は1843年(天保14年)の大火の後に再建されたものです。
大会堂(だいえどう)
1175年(安元元年)鳥羽法皇の皇女(五辻斎院頌子内親王)によって創建されました。壇上で大法会がある時に一山大衆はまずこの堂に会してから行列を整えることから大会堂と呼ばれるようになったようです。現在の建物は1847年(弘化4年)に再建されたものです。
大会堂(だいえどう)
1175年(安元元年)鳥羽法皇の皇女(五辻斎院頌子内親王)によって創建されました。壇上で大法会がある時に一山大衆はまずこの堂に会してから行列を整えることから大会堂と呼ばれるようになったようです。現在の建物は1847年(弘化4年)に再建されたものです。
不動堂
1197年(建久8年)鳥羽天皇の皇女院の御願により行勝上人がこの堂を建てたと伝えられています。勾配のゆるい檜皮葺の屋根に平安時代の寝殿造りの面影が残っています。
藍染堂
藍染堂は1334年(建武元年)に後鳥羽天皇の御願によって建てられました。現在の堂は1843年(天保14年)の大火の後に再建されたものです。
根本大塔(こんぽんだいとう)
根本大塔は高さ約48.5mもあり、高野山内の建造物としては最大級の高さになります。空海が入定した際、世界最初の本格的密教伽藍の建立を決意しましたが、巨大な大塔であったため40年あまりを経た876年(貞観18年)頃に完成しました。落雷などによる火災のため5度焼失し、1843年(天保14年)の大火以降は礎石だけを残した状態でしたが、1937年(昭和12年)に再建され、現在も高野山のシンボルとなっています。
孔雀堂(写真右)
孔雀堂は後鳥羽法皇の御願により1200年(正治2年)に建てられ、仏師快慶作の孔雀明王が安置されました。現在の堂は昭和に焼失し1984年(昭和59年)再建されたものですが、孔雀明王(重要文化財)は現存しています。
西塔
西塔は、空海(弘法大師)の意志に従って第二世真然大徳が887年(仁和3年)に建立しました。現在の塔は五度目の再建で1834年(天保5年)に欅材を使用して建てられました。
御社
壇上伽藍の西端に丹生神社、高野明神、十二王子百二十伴神の三社が並んでいます。弘法大使は高野山を開く際に仏教の日本在来の神祇との融和を考慮し、高野山の地主神として丹生明神と高野明神(狩場明神)を勧請しました。いずれも1594年(文禄3年)に再建されたものです。
山王院
御社の前の拝殿は山王院と呼ばれており、こちらも1594年(文禄3年)に再建されたものです。
金剛峯寺

高野山真言宗の総本山の寺院です。金剛峯寺は元々は高野山全体を表すものでしたが、現在において金剛峯寺と呼ばれるのは1869年(明治2年)に青巌寺と興山寺(廃寺)の2つの寺院が合併したものです。
金剛峯寺かご塀
檜皮葺のかご塀は総延長202mに至ります。南面の部分の塀は1862年(文久2年)の建立です。西面の部分の年代は不明ですが、柱の風飾状態などから一時代古いものと考えられています。
奥之院参道

奥之院参道
奥之院の参道には、皇室、公家、大名などの墓が多く並んでいて大変見ごたえのあるものになっています。墓の総数は正確には把握されていませんが、20万基以上と言われており、戦国大名の6割以上の墓所がここにあります。
一の橋
正式な入り口である「一の橋」から御廟までは約2km、無料大駐車場のある「中の橋」から御廟まではその半分の約1kmの参道になっています。
金剛三昧院

金剛三昧院は、1211年(建暦元年)北条政子の発願によって建立されました。
源頼朝と実朝の菩提を弔うための国宝・多宝塔のほか、重要文化財の客殿や経蔵などが現存しています。
この多宝塔は高野山に現存する最古の木造建築物で、鎌倉様式を残す数少ない建物のひとつです。源頼朝、実朝の御霊を供養するため、1223年(貞応2年)頼朝の妻北条政子によって建立されたもので、1952年(昭和27年)に国宝に指定され、2004年(平成16年)には、世界文化遺産に登録されています。
高野山の町並み

整備された美しい道に寺院が並んでいます。
土産物店や飲食店が軒を連ねています。これらの建物も年代物で趣があります。
なまこ塀が印象的な普賢院。高野山ではこの普賢院をはじく多くの寺院が宿坊をされています。
アクセス

【電車でのアクセス】
南海高野線 極楽橋駅下車、南海高野山ケーブルで高野山駅へ
【車でのアクセス】
高野山内には無料駐車場が多数あります。金剛峯寺前駐車場(下記地図の場所)が便利ですが、日によっては混み合います。その場合はここで並ぶより少し離れた場所に駐車するのがおすすめです。
訪問日:2022年8月
最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、高野山についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。