古い町並み
ならまちの町並み(奈良県奈良市)
ならまちは奈良時代の元興寺や興福寺の旧境内地に、中世以降多くの人が住み始め、社寺とともに発展してきました。この地域には元興寺や興福寺などの寺院とともに、江戸時代から昭和初期の町家が数多く残されています。
岩村(岩村城下町)の町並み(岐阜県恵那市)
岩村は安土桃山時代から岩村川南側に街並みが形成され、江戸時代には岩村藩三万石の城下町として東濃地方の政治・経済・文化の中心として繁栄しました。全長約1.3kmの古い町並みには現在も当時の面影を残す商家やなまこ壁や枡形や町の中を流れる疎水などが保存されております。
嘉右衛門町の町並み(栃木県栃木市)
嘉右衛門新田村や平柳新地などの町は、「日光例幣使道」沿いにあり宿場町である栃木宿が近いことから商家や職人など家が建ち並ぶ集落が形成されていきました。江戸中期になると麻を扱う商家が多く進出し、江戸末期から明治期にかけて繁栄しました。
有田内山の町並み(佐賀県有田町)
江戸時代後期に各地で磁器生産が始まるまでは、国内で唯一、長期にわたって磁器を生産していたのが有田でした。「内山地区」と呼ばれる約2kmのエリアは江戸時代にはじまった磁器生産の中心地で、現在も江戸・明治・大正・昭和の各時代の町屋が軒を連ね有田焼の生産が行われています。
小田付の町並み(福島県喜多方市)
小田付(おたづき)は、1582年(天正10年)に町割が行われ、定期市が近村から移され大変賑わいました。また、酒や味噌、醤油の醸造業も盛んになり会津北方の交易の要衝として発展しました。現在においても、小田付には江戸時代までに整備された地割が残り、多様な土蔵が並ぶ景観が残されています。
出羽島の漁村集落(徳島県牟岐町)
出羽島は、徳島県牟岐港から3.7kmの沖合に浮かぶ島で、江戸後期から昭和前期にかけて、鰹漁を中心とした漁業で栄えた漁村集落です。島内には現在も幕末の建物を最古として、明治から昭和前期にかけての伝統的な建物が密集して残っており、2017年(平成29年)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
杵築城下町の町並み(大分県杵築市)
杵築城下町では南北の高台に武家屋敷群があり、高台に挟まれるように商人の町があります。このような独特の町の造りから杵築城下町は「サンドイッチ型城下町」と呼ばれ杵築ならではの景観を創り出しています。
岩瀬の町並み(富山市東岩瀬町)
岩瀬は江戸時代後期から明治時代にかけては北前船の交易で栄え、五大家(馬場家、米田家、森家、畠山家、宮城家)を中心に廻船問屋が立ち並びました。1873年(明治6年)の大火により多くの建物が焼失しましたが、豊富な財力のよって岩瀬独自の「東岩瀬廻船問屋型」の家屋が再建され、岩瀬の町並みが形成されました。
加賀橋立の町並み(石川県加賀市)
加賀橋立は、江戸時代後期から明治時代にかけて大阪と北海道を往復した「北前船」の船主や船頭が多く居住した集落で、最盛期には100隻以上の北前船を擁していました。
塩田津の町並み(佐賀県嬉野市)
長崎街道の宿場町「塩田宿」と川港「塩田津」という二つの側面から栄えた塩田津には、江戸時代後期に火災や風水害に強い「居蔵家(いぐらや)」と呼ばれる白漆喰の大型町家が建てられるようになり重厚な町並みが形成されていきました。塩田津には居蔵造の町並みが現在も残り、2005(平成17)年には重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
美々津の町並み(宮崎県日向市)
美々津(みみつ)は、江戸時代に高鍋藩の重要な商業港として繁栄し、港から南に延びる三本の通りや、「ツキヌケ」と呼ばれる防火地が整備されました。現在でも、旧い敷地割や石畳とともに、江戸時代から明治時代にかけて建てられた歴史的な建物が数多く保存されており、1986年(昭和61年)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました
若桜の町並み(鳥取県若桜町)
若桜の町は若桜鬼ヶ城の城下町として整備され、江戸初期に入り一国一城令によって廃城となった後は、城下町時代の町割街道を維持しながら宿場町として人と物資の交易で発展しました。現在においても、本通り沿いや蔵通り沿いに歴史的な景観がよく残されているおり、2021年(令和3年)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
郡上八幡の町並み(岐阜県郡上市)
清冽な水と郡上おどりで有名な郡上八幡は戦国時代の末期築かれた八幡城の城下町として発展してきました。1652年(承応元年)の大火で町はほぼ全焼し、その後防火目的で町に水路が張り巡らされました。
法隆寺周辺の町並み(奈良県奈良市)
法隆寺は7世紀に創建された世界最古の木造建築物群ですが、その周辺にも法隆寺を中心に大工集団の本拠地として栄えた「西里」、大坂と奈良を結ぶ街道として栄えた「奈良街道」や法隆寺と当麻寺を結ぶ信仰の道として栄えた「当麻街道」などに古い町並みが残されています。
肥前浜宿の町並み(佐賀県鹿島市)
肥前浜宿は、江戸時代は多良海道の宿場町、そして有明海に面した港町として大変栄え「浜千軒」といわれるほどでした。また、江戸時代から酒や醤油などの醸造業が盛んで多くの造り酒屋が軒を連ねていました。現在も3つの酒蔵が製造を続けており通称「酒蔵通り」と呼ばれています。
函館の町並み(北海道函館市)
函館は、幕末のペリー来航後の日米和親条約によって1855年(安政2年)に下田と共に開港し、1859年(安政6年)には長崎や横浜とともに国際貿易港になりました。現在の町並みは、明治時代の大火の後に形成されたもので、明治、大正、昭和初期に建てられた和風や洋風、和洋折衷の町家、宗教建築、公共建築が立ち並んでいます。
白峰の町並み(石川県白山市)
白山の麓に位置し日本屈指の豪雪地帯である白峰では稲作の代わりに江戸中期から先進的な養蚕が行われ、白峰の主な生業となっていました。明治中期の紀行文によると、白峰は製糸業が盛んで様々な施設があることが記されており当時の集落が賑やかであったことが分かります。
入来麓の町並み(鹿児島県薩摩川内市)
江戸時代、薩摩藩は鶴丸城を本城とし、領内の各地に「外城(とじょう)」と呼ばれる行政区画を設けて統治しており、入来はその外城の一つとなりました。現在の入来麓武家屋敷群の町並みは中世から江戸期にかけて出来たもので、樋脇川の石を使用した玉石垣と生垣で整然と区割りされています。
東祖谷・落合集落(徳島県三好市)
落合は、三好市東祖谷のほぼ中央にある集落で、急勾配の山の斜面に沿って広がっています。江戸時代以降になると、煙草やじゃがいもの栽培が始まり、昭和40〜50年ごろまでは葉煙草や麦、水稲・陸稲の栽培、養蚕などが行われてきました。
椎葉村十根川集落(宮崎県椎葉村)
椎葉村の十根川集落は標高550m前後の山村集落で、山の斜面に集落が形成されています。この集落の住居は「椎葉型」と呼ばれ、民家と馬屋や蔵が一列に並んで配置されるこの地区独特のもので、これらの住居群と石垣がこの集落ならでは景観を形成しています。
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