古旅 日本の古い町並み

ならまちの町並み(奈良県奈良市)


2023年8月27日  古い町並み , 奈良県

【町並み感動度】
★★★★★
★★★★★80

町並み保存度
★★★★★
★★★★★60
江戸時代からの建物が数多く残されています。ただ町全体が古い町並みではなく素晴らし建造物が点在しています。
町並みの規模
★★★★★
★★★★★90
奈良町は道が入り組んでいて元興寺や興福寺を合わせると大変広範囲になります。奈良市の中心ですので東大寺など他の名所も近く合わせて観光できます。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★90
世界遺産の寺院や雰囲気のある町並みは素晴らしく内部を見学できる建物や飲食店やショップも多く見どころたくさんです。

ならまちは奈良時代の元興寺や興福寺の旧境内地に、中世以降多くの人が住み始め、社寺とともに発展してきました。この地域には現在も元興寺や興福寺などの寺院とともに、江戸時代から昭和初期の町家が数多く残されています。


目次

ならまち


中新屋町


ネパールの伝統的な飾窓が施された元興寺「西室」
ネパールの伝統的な飾窓が施された元興寺「西室」
この異国風の窓は1970年の大阪万博が開催された際に、ネパール館に使用されていた伝統的な木彫りの飾窓です。日本とネパールの有効のあかしとして元興寺に寄贈されたもので、1996年にこの元興寺の庫裏にあたる「西室」を再生する際に設置されました。

趣のある看板灯篭が印象的な菊岡漢方薬
趣のある看板灯篭が印象的な菊岡漢方薬
趣のある看板灯篭が印象的な菊岡漢方薬。江戸中期の町家を改装してこの薬店は2002年から奈良町で営業されているようです。

奈良町にぎわいの家
奈良町にぎわいの家
この町家は1917年(大正6年)に骨董商によって建てられたもので、通りに面する店舗(表屋)と奥の住居を中庭で隔てて建てる「表屋造」となっています。

奈良町にぎわいの家
奈良町にぎわいの家
建物の内部は無料で公開されています。間口からは想像できないほどの広さと凝った造りに驚かされます。

南城戸町


江戸時代から和ろうそくの製造を行っていた細川家
江戸時代から和ろうそくの製造を行っていた細川家
細川家は江戸時代から昭和35年頃まで和ろうそくの製造を行っていました。文化・文政年間(1804〜1830年)の祈祷札があることから、この時代に建てられたものと考えられています。

森家
森家
この建物は、隣の細川家の隠居所として建てられたもので、明治20年代(1887年〜)頃の建築と推測されています。

西新屋町


西新屋町
凝った意匠の虫籠窓がある町家が並びます。

松山家住宅・西新屋町
松山家住宅・西新屋町
松山家は江戸時代から戦前まで米問屋を営んでいました。棟札からこの建物の主屋北棟は1829年(文政12年)に建てられたことが判りました。建築年代が判明したことで、奈良の町屋の基準作となっています。

芝新屋町


芝新屋町
芝新屋町
元興寺が荒廃しこの地は芝の原っぱとなっていました。天正・文禄年間(1500年代後半)にそこに民家が建ち始めたため「芝新屋町」と呼ばれるようになったといわれています。

木奥家住宅
木奥家住宅
江戸時代、この建物では墨屋小右衛門家が奈良の特産品であった高級麻織物の奈良晒(ならざらし)の問屋を営んでいたようです。大正以降は、襖地の生産を営んでいた木奥家が事務所兼住宅としていました。江戸から明治にかけての建築で、最も古い南側座敷は1792年(寛政4年)に建てられたものになります。

吉田蚊帳店舗(写真左)と吉田家住宅主屋(写真右)
吉田蚊帳店舗(写真左)と吉田家住宅主屋(写真右)
明治前期に建てられた主屋は、細い格子や長い虫籠窓を配した洗練された意匠となっています。店舗のほうは江戸末期に建てられたもので蚊帳工場や倉庫などとして使われてきました。

元興寺塔跡


元興寺塔跡
このあたりは、奈良時代(8世紀)に元興寺の金堂や塔、南大門など主要な伽藍があった地域と推定されています。現在は民家に囲まれた小さな空間に仮堂と塔跡があります。

元興寺塔跡
江戸時代末期の1859年(安政6年)に焼失しましたが、現在も基壇と礎石が残されています。高さ約50メートルの大きな塔が建っていたと推測されています。

元興寺町


ならまち格子の家(写真右)
ならまち格子の家(写真右)

ならまち格子の家
入場無料で建物内を見学できます。間口はせまいが内部は驚くほど広い造りになっています。

毘沙門町


正木家住宅
正木家住宅
正木家は江戸時代には両替商、明治には乾物商、昭和初期から戦後までは診療所と時代とともに変遷してきました。奥にある蔵は祈祷札から1844年(天保15年)の建築とみられています。

福智院町


福智院
福智院
736年(天平8年)に興福寺僧の玄ムが後の福智院になる寺を開き、その後弟子が坊号を福智院として統治を始めたのが起源とされています。江戸時代からは奈良町のうちの一町とされましたが、それ以前は広大な領地を所有していました。

福智院町

奈良を代表する蔵元、春鹿(はるしか)の蔵も福智院町にあります。

高畑町


青田家住宅
青田家住宅
青田家は代々醤油の製造販売を行ってきた商家です。墓石名や鬼瓦の銘から1850年(安政3年)ごろの建築と考えられています。

志賀直哉旧居
志賀直哉旧居
1925年(大正14年)に京都山科から奈良市幸町に移った志賀直哉は、1929年(昭和4年)に4月に若草山の眺望が良い高畑に自ら設計した居宅を建てました。ここで多くの作品が執筆された他、様々な文化人が訪れ文学論や芸術論などを語り合う場所となったことから高畑サロンと呼ばれるようになりました。

元興寺


元興寺 東門
元興寺 東門
元興寺は蘇我馬子が飛鳥につくった日本最初の本格的寺院とされる法興寺(飛鳥寺)を遷都の際に718年に平城京に移したものです。古代の大寺でしたが、中世以降、奈良の町の発展に伴い寺地の大半は宅地化しました。

元興寺
現在も残る中院町の元興寺の境内は奈良時代の元興寺の遺跡として世界文化遺産「古都奈良の文化財」の一つに登録されています。

興福寺


興福寺
興福寺は藤原氏の氏寺として創建され隆盛を極めました。

興福寺 五重塔
五重塔や金堂、北円堂などの建造物をはじめ、阿修羅像を含む仏像の数々が残されており、「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されています。

アクセス


【電車でのアクセス】
町並みの中心にある元興寺まで
近鉄奈良駅から徒歩で約12分、JR奈良駅から徒歩で約20分です。
【車でのアクセス】
下の地図の場所に有料の駐車場(奈良町南観光駐車場)があります。
料金等詳しくは奈良市のウェブサイト(奈良町南観光駐車場のご案内)でご確認ください。



訪問日:2023年2月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、ならまちについての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。




コメントを書く
メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です。
コメント *
お名前 *

サイト

メール









ページ上に戻る

ホーム古い町並み都道府県町並み感動度古旅へのご連絡サイトマップ

furutabi.com