【町並み感動度】 |
町並み保存度
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保存されている武家屋敷は限定されていますが、町割りや石垣や生垣など江戸時代からほとんど変わらないであろう風景が残されています。 | |
町並みの規模
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清色城跡と蛇行した樋脇川に囲まれた場所に作られた入来麓のほぼ全域に渡って当時の地割や屋敷割がよく残されています。 | |
観光魅力度
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碁盤の目に整備された出水麓とは趣が異なり、自然豊かでのどかな町並みをゆっくり散策できます。 |
鎌倉時代中期、相模国の御家人であった渋谷定心が領主としてこの地に入り、「入来院」という地名を姓として勢力を拡大し、明治維新に至るまでほぼ一貫して領主として存続しました。
江戸時代、薩摩藩は鶴丸城を本城とし、領内の各地に「外城(とじょう)」と呼ばれる行政区画を設けて統治しており、入来はその外城の一つとなりました。
外城における統治の中心地は「麓(ふもと)」呼ばれましたが、入来においてはそれ以前の1501年(文亀元年)に清色城の裾野に屋敷を配して「麓」と称していました。
現在の入来麓武家屋敷群の町並みは中世から江戸期にかけて出来たもので、その地割や屋敷割がよく残されており、樋脇川の石を使用した玉石垣と生垣で整然と区割りされています。
入来麓武家屋敷群は2003年(平成15年)に「入来町入来麓伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物保存地区に指定され、武家屋敷をはじめ表門や石垣などが伝統的建造物としての保存のための措置が講じられています。
目次 ・茅葺門 ・アクセス |
【電車でのアクセス】
JR川内駅からタクシーで約30分
【車でのアクセス】
・九州自動車道姶良ICから約25分
・JR川内駅から約25分
下の地図の場所に無料駐車場(入来麓武家屋敷群 駐車場)があります。
訪問日:2023年2月
最後まで見ていただきありがとうございます。
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