古旅 日本の古い町並み

嘉右衛門町の町並み(栃木県栃木市)


2024年7月4日  古い町並み , 重要伝統的建造物群保存地区 , 栃木県

【町並み感動度】
★★★★★
★★★★★78

町並み保存度
★★★★★
★★★★★65
古い町並みが連続するような場所はあまりありませんが、随所に見ごたえのある見世蔵や土蔵が残されています。
町並みの規模
★★★★★
★★★★★90
嘉右衛門町や、蔵の街大通り、巴波川綱手道など広範囲に渡って趣のある建築や町並みが広がっています。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★80
旧日光例幣使道や巴波川沿いなど絵になる風景を随所に見ることができます。

嘉右衛門町は、天正年間(1573-1592)に足利から移り住んだ岡田嘉右衛門が荒れ地を開墾して開拓したことに始まります。
嘉右衛門新田村や平柳新地などの町は、「日光例幣使道」沿いにあり宿場町である栃木宿が近いことから商家や職人など家が建ち並ぶ集落が形成されていきました。
江戸時代に入ると幕府領となり1685年(貞享2年)からは旗本畠山氏領の支配下に置かれ畠山藩の陣屋も置かれました。
江戸中期になると嘉右衛門新田村や平柳新地の日光例幣使道沿いに麻を扱う商家が多く進出し、江戸末期から明治期にかけて繁栄しました。

旧日光例幣使道沿いには現座においても江戸末期から昭和前期にかけての見世蔵や土蔵などの建造物が多く残されており、2012年(平成24年)には国の重要伝統的建造物群に繊維されました。


目次

「日光例幣使道」沿いの町並み


嘉右衛門町


岡田嘉右衛門家
岡田嘉右衛門家
岡田家は栃木で古くから続く旧家の一つで、この地は足利から移り住んだ岡田嘉右衛門が開拓したことに始まります。当主の名「嘉右衛門」は町名にもなっています。その後も岡田家は豪農として栄え、村が畠山氏領になると1689年(元禄2年)に屋敷内に陣屋を置き、下野国内の畠山領内13村の惣代名主を務めました。

大貫邸
大貫邸
1834年(天保5年)に建てられた見世蔵で、見世蔵としては全国で3番目に古いものになります。もともとは麻問屋を営んでいた家でした。

嘉右衛門町
建物を横から見るといくつもの建物が縦に連なっていて非常に奥行があることがわかります。

嘉右衛門町
ゆったりとカーブしながら続く町並みに古い街道の風情を感じます。

岡田記念館

蔵の街大通り


旧日光例幣使道は市中心部を通り「蔵の街大通り」と呼ばれています。車通りの多い県道でありながらも黒漆喰の重厚な見世蔵や白壁の土蔵が多く残されています。

五十畑荒物店
五十畑荒物店
写真中央の五十畑荒物店は1923年(大正12年)創業の雑貨店です。この建物は糸綿商であった佐山家によって明治中期に建てられたものです。

古久磯(こくいそ)提灯店
古久磯(こくいそ)提灯店
古久磯提灯店の見世蔵は、小屋梁に残された墨書から1845年(弘化2年)の建築であることが分かっています。黒漆喰の重厚な建物です。

とちぎ蔵の街観光館(旧田村邸 見世蔵)
とちぎ蔵の街観光館(旧田村邸 見世蔵)
田村家は「八百屋」の屋号で麻苧問屋を営んでいました。厚い土壁を漆喰で仕上げた見世蔵は1904年(明治37年)に建てられました。現在はとちぎ蔵の街観光館として観光案内と土産品販売の施設となっています。

巴波川綱手道(うずまがわつなてみち)


巴波川綱手道(うずまがわつなてみち)
栃木市は江戸時代より巴波川(うずまがわ)の舟運により発展してきました。かつては川の流れが速く江戸からの帰路は麻綱で舟を曳いてきました。このことから巴波川沿いの曳舟道(ひきふねみち)は綱手道(つなてみち)と呼ばれています。

巴波川綱手道
巴波川沿いには現在も舟積問屋や豪商の蔵が建ち並び当時の面影を漂わせています。

巴波川綱手道

アクセス


【電車でのアクセス】
JR栃木駅からとちぎ蔵の街観光館まで徒歩約15分
【車でのアクセス】
下の地図の場所に嘉右衛門町伝建地区隣接の無料駐車場があります。



訪問日:2023年7月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、嘉右衛門町など栃木市の町並みについての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。




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