古い町並み
越中八尾の町並み(富山市八尾町)
16世紀に聞名寺や蓮勝院が建てられたことから八尾の町はその門前町として始まりました。江戸時代初期には加賀藩から町を作って商業活動を認める「町建て」の御墨付を得て、現在の八尾旧町の原型が成立しました。現在も諏訪町本通りなどを中心に伝統的な白壁が特徴的な建物が石畳の通りに立ち並び江戸時代の町並みの面影を残しています。
津和野の町並み(島根県津和野町)
津和野は亀井氏の居城であった津和野城の城下町として整備されました。1853(嘉永6年)の大火で多くの建物が失われましたが、町割や水路は当初の姿を保ち、以後も江戸末期から戦前にかけて多様な様式の町家が建ち並びました。明治期には武家屋敷の多くが姿を消し、商家町の町家も多くは建て替えられましたが、基本的な町の骨格は変わることなく受け継がれています。
川越の町並み(埼玉県川越市)
川越藩は1590年(天正18年)に立藩し、1639年(寛永16年)には、島原の乱の鎮圧で功績を挙げた松平信綱が藩主となりました。「知恵伊豆」と称された信綱は、城下町の整備を行いました。1893年(明治26年)の川越大火により、市街地の大部分が焼失しましたが、川越の商人たちは耐火性に優れた蔵造りの商家を建て町を復興しました。
出島和蘭商館跡(長崎県長崎市)
出島はポルトガル人を一か所に集めキリスト教の布教を防ぐ目的で築造された扇形の人工島で、1634年(寛永11年)から1636年にかけて建設されました。1639(寛永16年)の鎖国令によってポルトガル人が排除されましたが、平戸オランダ商館が出島に移され、以降開国までの218年間にわたって出島は西欧に開かれた唯一の窓口となりました。
篠山の町並み(兵庫県丹波篠山市)
篠山城跡を中心とした城下町には武家屋敷や近世から近代にかけて建てられた商家など価値が高い町並みが残されており、2004年には国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に選定されました。町並みは主に河原町妻入商家群と御徒士町武家屋敷群に分けられ、いずれも藩政時代の面影を色濃く残す家並みを楽しむことができます。
佐原の町並み(千葉県香取市)
江戸時代より利根川水運の拠点の一つとなり物資の集散地として発展した佐原は、明治時代以降も繁栄を続け「北総の小江戸」や「水郷の町」と称されました。現在も、佐原の小野川沿いと香取街道沿いには江戸末期から昭和前期の建物が数多く残されています。
金屋町の町並み(富山県高岡市)
高岡城を築城した前田利長は、城下の産業発展を図るため、1611年(慶長16年)に砺波郡西部金屋から7人の鋳物師を招き、千保川左岸に土地を与えて鋳物場を開設させました。これが金屋町の始まりで、この地に鋳物産業が根付き発展していきました。
臼杵城下町の町並み(大分県臼杵)
江戸時代に稲葉家が治める臼杵藩五万石の城下町として繁栄した臼杵の城下町にはいたるところに往時の面影が残されています。二王座と呼ばれる凝灰岩の丘を削り取って造られた狭い路地は臼杵特有の景色を創り出していて国の都市景観100選にも選定されています。
鞆の浦の町並み(広島県福山市)
瀬戸内海のほぼ中央に位置する鞆の浦は、このあたりで潮の流れが代わることから、古来より潮待ち風待ちの港として栄えてきました。江戸時代には鞆の浦は港を中心とする商業、漁業、鍛冶、保命酒等の酒造業などの産業で栄え、戦前まで港町としての繁栄が続きました。
飛騨古川の町並み(岐阜県飛騨市)
飛騨古川の町並み(岐阜県飛騨市)の町並みを訪れました。白壁土蔵が連なる町並みを背景にたくさんの鯉が泳ぐ瀬戸川の清流が象徴的です。高山を小さくしたようなこじんまりとして趣のある飛騨古川の町並みは本当に美しく散策に最適です。
馬籠宿(岐阜県中津川市)
馬籠宿は中山道43番目、木曽路最後の宿場町です。馬籠宿は600m以上も続く石畳が敷かれた坂道に沿っており、それが独特の趣のある風景を作り出しています。おやきや五平餅やお土産屋さんがならび食べ歩きや散策が楽しめます。
内子の町並み(愛媛県喜多郡内子町)
内子町は江戸時代後期から明治時代にかけて木蝋の生産によって栄えました。内子座や上芳我邸をはじめ江戸や明治の面影を残す町家がよく保存されており往時の町並みを偲ぶことができます。
会津西街道と大内宿(福島県下郷町)
大内宿は会津西街道(下野街道、日光街道)の宿場として1643年(寛永20年)に開かれ、本陣や脇本陣が設置されや迴米の集散地として重要な駅となりました。現在においても大内宿には街道宿場の形態を色濃く残す町並みがよく保存されており、1981年(昭和56年)には国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。
赤沢宿(山梨県早川町)
赤沢は、中世のころから 日蓮宗の総本山である身延山と、同じく日蓮宗の霊山である七面山への参拝客の宿場町として知られていました。江戸時代になると、参拝客の増加に伴い「講中宿」と呼ばれる宿泊施設や参拝に関連する商売が発展し、江戸時代後半から昭和初期にかけては最も繁栄し、独特な集落形態が形成されました。
金ケ崎の町並み(岩手県金ケ崎町)
江戸時代、伊達領(仙台藩)であった金ケ崎は南部藩との藩境に接していることから、軍事上の拠点、仙台藩21要害の一つとして「金ケ崎要害」(城)が置かれました。この要害を取り囲むように「武家町」、奥州街道の南北両端に「足軽町」、中央部に「町人町」が形成されました。
吉良川の町並み(高知県室戸市)
古くから木材や薪などの集積地であった吉良川では、明治時代になると備長炭の生産が始まり、良質な備長炭を生産するようになりました。そのため吉良川では、吉良川炭を扱う商家や廻船問屋が隆盛を誇り、その繁栄を背景に吉良川の町並みが形成されました。
海野宿の町並み(長野県東御市)
海野宿(うんのじゅく)は1625年(寛永2年)に北国街道の宿場町として開設されました。明治時代に入ると養蚕・蚕種業が盛んになり、大正時代にかけて堅牢な蚕室造りの建物が多く建てられました。現在も海野宿には江戸時代の旅籠造りと明治以降の蚕室造りの家並みが良く残されおり、1987年(昭和62年)には重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。
宇陀市松山の町並み(奈良県宇陀市)
松山地区は戦国時代に秋山城の城下町を起源とし、その後豊臣秀長の家臣により拡大されました。1694年からは江戸幕府の天領となり、商業地として栄えました。現在も江戸から明治の商家が多く残されており、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
龍野の町並み(兵庫県たつの市)
龍野の城下町は、戦国時代に赤松氏が揖保川西岸の鶏籠山山頂に築城したことに始まります。江戸時代に城が山裾に移されると、城下町が整備され、西播磨の政治経済の中心地として繁栄しました。さらに、17世紀後半から始まった醤油醸造を基盤に発展し、近代以降も醸造業が主産業として地域を支えてきました。
長町武家屋敷跡(石川県金沢市)
長町武家屋敷跡には土塀と石畳が続く小路には加賀藩時代の上流・中流階級の藩士の豪壮な武家屋敷が軒を連ねています。金沢市の繁華街「香林坊」の近くにもかかわらず路地に一歩足を踏み入れると静かで藩政時代の武家町の雰囲気を感じることができます。
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