【町並み感動度】 |
町並み保存度
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保存地区内の建物は復原されたものも創建時の状態を維持されており、大変な努力がうかがえます。 また、建て替えられた建物であっても美しい生垣が維持されているため町の雰囲気が損なわれていません。 |
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町並みの規模
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軒数はそれほど多くありませんが、各屋敷の敷地が大きく、保存地区の大きさは広大です。 | |
観光魅力度
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時期によるかもしれませんが、観光の方も少なく車の往来も少ない静かな保存地区内をゆっくり散策できます。 無料公開されている建物ではとても親切に案内してくれます。とても静かなところですがカフェや食事処もあります。 |
江戸時代、伊達領(仙台藩)であった金ケ崎は北上川の西側において伊達領の北端に位置し、南部藩との藩境に接していることから、軍事上の重要拠点として「金ケ崎要害」(城)が置かれました。
伊達氏は領内に仙台藩21要害を置いて家臣に治めさせていましたが、金ケ崎要害はこの仙台藩21要害の一つでした。
この要害を取り囲むように「武家町」、奥州街道の南北両端に「足軽町」、中央部に「町人町」が形成されました。
現在、保存地区に指定されているのは要害と武家町のほぼ全域で、東西690m、南北980mの広大な範囲になります。
小道に沿った美しい生垣の向こうに侍住宅の大屋根が見えるこの地域ならではの景観が見事に保存されています。
目次 ・アクセス |
旧大沼家は金ケ崎要害の大庭に沿った屋敷で、今も主屋、馬屋、庭が残されています。
主屋は18世紀末頃建てられたものです。馬屋は明治に建てられたものですが、保存地区で唯一のものです。
2006年(平成18年)に厠が復元され主屋、馬屋、厠の3棟が並んだ独特のつくりが再現されました。このような建物の配置はこの地方特有のもので三ツ家形式と呼ばれています。
かつて山林奉行を務めた大松沢家の760坪の敷地には、江戸時代後期の四脚門、板塀、石積み、エグネ、庭園が残されています。
庭園には築山(つきやま・人工の山)やエノキ、カエデ等の巨木があります。
大町氏の家臣であった大沼家は、1664年(正保元年)に大町氏が藤沢から移封となった際にお供して金ケ崎に移ってきました。
家に伝わる「大沼家先祖書留」によると1817年(文化14年)に古家を拝領したことが記述されています。
現在の建物は2011年(平成23年)に創建時の姿に復原されました。
約600坪の菅原家の屋敷は石積み、生垣、主庭、露地庭、主屋、エグネからなります。
広い庭にある樹齢200年とも言われるサルスベリの巨木が特徴的です。
仙台藩直属の家臣、御給主であった細目家の敷地は約1000坪もある広大なものです。
美しく手入れされた巨大な生垣が目をひきます。
金ケ崎要害歴史館は、この金ケ崎要害の歴史文化について紹介する施設です。
当地の歴史文化、侍屋敷の特徴や街並みなど、映像や展示を通して詳しく知ることができます。
一般200円(20名以上の団体150円)
高校生以下無料
詳しくは金ケ崎要害歴史館のウェブサイトでご確認ください。
【電車でのアクセス】
JR金ケ崎駅から金ケ崎要害歴史館まで徒歩15分
【車でのアクセス】
東北自動車道、水沢IC・北上金ケ崎ICから約10分
下の地図の場所に無料駐車場(金ケ崎要害歴史館駐車場)があります。
訪問日:2022年9月
最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、金ケ崎の町並み(岩手県金ケ崎町)についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。