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古い町並み
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宇陀市松山の町並み(奈良県宇陀市)
宇陀市松山の町並み(奈良県宇陀市)

町並み保存度
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広範囲にわたって江戸から明治の建築物が見事に保存されています。
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町並みの規模
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城下町だけあって広い範囲に渡って見ごたえのある町並みが続きます。
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観光魅力度
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見ごたえのある町屋建築を数多く見学でき、その多くに案内版が掲げれられいますので、その場で読みながら町歩きを楽しめます。 町中にはお店はそれほど多くありませんが、道の駅「宇陀路大宇陀」は大変賑わっていて買い物を楽しめます。
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宇陀市松山の町並み

松山地区は戦国時代に国人領主秋山氏が築いた秋山城の城下町を起源とし、その後豊臣秀長の家臣により城下町の範囲が拡大され現在の町並みの原型が形成されました。
1600年の関ヶ原の戦い以降は織田信雄にはじまる織田氏が四代にわたって支配した後、1694年からは江戸幕府の天領となり、商業地として栄えました。
現在も江戸時代から明治時代の商家が数多く残されており、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
現役の造り酒屋「久保本家酒造会社」。銘柄は「初霞」です。
写真右 芳村家「稲戸屋」
「稲戸屋」という屋号でたね油絞りを営んでいましたが、明治5年からは造り酒屋となり現在も芳村酒造として現役です。黒漆喰、うだつ、格子など伝統的要素を持った住宅で、二段のうだつはこの地域では唯一のものです。
森岡家住宅
主屋は大正末期に建てられ、昭和初期に増築されています。松山地区には珍しい妻入りで、表側は入母屋の屋根形式の町屋です。
森野家住宅(森野旧薬園)
大きな虫籠窓と「史跡森野旧薬園」の石碑と「吉野葛」の木の看板が目を引きます。1729年に薬園が開かれて以来現在にいたるまで代々吉野葛を製造されています。薬園は現存する日本最古の私設薬草園で、1926年に国の史跡に指定されました。
黒川家住宅
味のある「吉野葛」の木の看板が目を引く黒川本家は代々葛を扱う商家で明治初期からは宮内庁御用達となっています。文豪・谷崎潤一郎が小説『吉野葛』の執筆にあたり、滞在して執筆活動をした場所でもあります。切妻・厨子二階(つしにかい・中二階)の大規模な商家で、厨子二階には三種類六つの虫籠窓があります。
山間の静かな町に趣がある建物が軒を連ねています。
黒漆喰、白漆喰、虫籠窓の形状も様々で見飽きません。
銘菓「きみごろも」の看板や「奈良漬」の樽など個性的な看板が目立ちます。創業90余年の老舗和菓子店「銘菓きみごろも本舗 松月堂」さんの「きみごろも」という玉子のお菓子は美味です。
途切れることなく連続した町並みは映画のセットのようです。
郡司家「更紗屋(さらさや)」
「神楽岡(かぐらおか)神社」へと登る参道入口にある1868年(明治元年)頃の建築。片側入母屋、厨子二階(つしにかい・中二階)
山邊家「山邊屋」
山邊家はかつて宇陀紙問屋の総元締めを務めた家で、私札の版木や貴人が訪れたときに掲げた看板などが残されています。切妻・厨子二階で、このあたりで最も古い1783年(天明5年)頃の建築です。
川尻家住宅
切妻・厨子二階・桟瓦・平入りの民家で江戸末期の建築と考えられています。ひし形の虫籠窓は厨子二階には珍しく、この地域で唯一のものです。
旧細川家住宅(宇陀市大宇陀歴史文化館「薬の館」)
屋根に架かる大きな薬の看板が印象的な旧細川家住宅は江戸時代末期の建築です。細川家は文化3(1806)年から代々薬問屋を営んできた家柄で、現在は歴史文化館に改修されています。館内には細川家の資料や藤沢薬品に関する資料を展示していて有料(大人…310円)で見学できます。
森田家「諸木野屋」
1808年(文化5年)頃に建てられた屋根の両端の形状が異なる片側入母屋、厨子二階、平入の建物です。明治初年まで「諸木野屋」という屋号で薬や雑貨を商っていた家で、一階前面の戸袋に「五龍園」など薬の看板が利用されているのが特徴的です。
森田家「諸木野屋」薬の看板
薬の看板をよく見ると、近畿だけではなく四国など各地から仕入れた薬を扱っていたことがわかりとても興味深いものとなっています。
霜永家「内牧屋」
江戸時代後期の建物で、もともとは造り酒屋で紅梅酒を造っていたようです。
植田家「かぎや」
江戸時代後期の建物。「かぎや」という屋号で材木や油、米穀などの取引を営んでいました。白漆喰と格子の対比が美しい建物です。
史跡 松山西口関門
「松山西口関門」はその名の通り、宇陀松山城の城下町の出入口でした。16世紀末〜17世紀初頭に建てられたと推定されています。壁以外の部分が黒く塗られている点が特徴で別名「黒門」と称されています。門を入る時も出る時も、道がすぐに直角に曲げられているのも特徴的です。建てられえた当時のまま現存するこの関門は、城下町の門としては希少で国の史跡に指定されています。
山本家「糀甚(こうじん)」
江戸時代後期から明治中期の建物。江戸末期から「糀甚(こうじん)」という屋号で造り酒屋を営んでいた家で昭和の初めまで商売をされていました。
好岡家「油屋」
明治20年代の建物です。
旧内藤家住宅(松山地区まちづくりセンター『千軒舎』)

旧内藤家住宅(松山地区まちづくりセンター『千軒舎』)
明治時代前期に建てられた煙出しがある伝統的な町屋建築で歯科医院を営まれていたお家です。(平成20年)に建物が寄贈され、現在は松山地区まちづくりセンター『千軒舎』として無料で内部を公開しています。
歯科医院の受付の名残が見て取れます。その他宇陀松山城跡から出土した器など様々な展示がされています。
中庭には蔵があり間口からは想像できないほど広い敷地です。
アクセス

【電車でのアクセス】
近鉄大阪線榛原駅下車 奈良交通「大宇陀」行きバスで約15分
【車でのアクセス】
・名阪国道針インターから約30分
・南阪奈道美原北インターから約40分
駐車場は以下の場所に無料駐車場「道の駅 宇陀路大宇陀 駐車場」もしくは「道の駅第2駐車場」があります。
訪問日:2022年6月
最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、宇陀市松山についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。