【町並み感動度】 |
町並み保存度
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諏訪町本通りを中心に連続した古い町並みは圧巻です。 | |
町並みの規模
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保存された町並みの中心部を外れても広範囲にレトロな町並みが続きます。 | |
観光魅力度
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町並みやお寺、石垣など見どころがたくさんあります。地形的なものもあってか町全体の雰囲気がとてもよく散策に最適です。 |
「おわら風の盆」で全国的に有名な八尾町(やつおまち)は、かつて富山県婦負郡八尾町でしたが、平成の大合併により2005年(平成17年)に富山市八尾町となりました。
1551年(天文20年)、浄土真宗の桐野山聞名寺(もんみょうじ)が越後上杉勢の来襲に備え、三方を崖に囲まれた八尾に移り、1576年(天正4年)には真言宗の蓮勝院(現在は八幡社のみ現存)も造られたことから、八尾の町はその門前町として始まりました。
江戸時代初期の1636年(寛永13年)に加賀藩から町を作って商業活動を認める「町建て」の御墨付を得て、現在の八尾旧町の原型が成立しました。
富山売薬が有名になると、その袋に使用されていた八尾和紙の生産が盛んになりました。また、八尾は、養蚕や蚕種(さんしゅ)業で栄え江戸時代後期には「越中の蚕都」と呼ばれるほどに栄え、蚕種産業は戦前まで基幹産業であり続けました。
現在も諏訪町本通りなどを中心に伝統的な白壁が特徴的な建物が石畳の通りに立ち並び江戸時代の町並みの面影を残しています。
目次 ・お店 ・アクセス |
八尾町は聞名寺の門前町として始まりました。
総欅造りの豪壮な現本堂は名匠、柴田新八郎貞英の傑作で1812年(文化9年)に完成したものです。
八尾は飛騨の山々から流れるあまたの川が集まる地域であり、たびたび水害にも見舞われてきました。
江戸時代の1631年(寛永8年)の井田川の大洪水のその痛手から立ち上がるため、高台に町を開いたのが石垣の起源で、その地形から坂の町としても有名になりました。
冬にはライトアップイベントも行われるようです。
西町と東町をつなぐ横丁は、八尾から笹原へ抜ける道でもあったことから賑わい四十物(塩魚類)を扱う店があったことから四十物横丁呼ばれました。
【電車でのアクセス】
富山駅からJR高山本線で25分、 越中八尾駅から徒歩30分程度です。
【車でのアクセス】
「げんさんの坂公衆トイレ」の前に駐車場があります。
訪問日:2021年10月
最後まで見ていただきありがとうございます。
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