古旅 日本の古い町並み

赤沢宿(山梨県早川町)


2024年10月16日  古い町並み , 重要伝統的建造物群保存地区 , 山梨県

【町並み感動度】
★★★★★
★★★★★85

町並み保存度
★★★★★
★★★★★90
山深い場所に、古くからの旅籠や民家が見事に保存されており、他の宿場町では見られない独特な景観を楽しむことができます。
町並みの規模
★★★★★
★★★★★80
山深く、傾斜が急な場所であることを考えると、非常に大規模な集落が形成されています。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★85
アクセスするのが大変な場所でありますが、それだけに奥深い山中に開かれた宿場町の雰囲気は特別で一度は訪れる価値があります。

山梨県南巨摩郡早川町にある赤沢は、中世のころから 日蓮宗の総本山である身延山と、同じく日蓮宗の霊山である七面山への参拝客の宿場町して知られていました。

江戸時代には、参拝客の増加に伴い「講中宿」と呼ばれる宿泊施設や参拝に関連する商売が発展し、独特な集落形態が形成されました。特に江戸時代後半から昭和初期にかけては赤沢が最も繁栄した時代で、赤沢の人々は旅館や食堂の経営、案内役や物資運搬など、参詣客相手の仕事を盛んに行っていた他、林業や木工業も生業として営んでいました。

赤沢は山間部に位置し、家屋以外に畑や水場などが一体となった景観を持ち、一般的な街道沿いの宿場町とは異なる独自の風景を形成しています。赤沢では、こうした景観を現在においてもよく残されていることから、1993年(平成5年)には重要伝統的建造物群に選定されました。


目次

「講中宿」で繫栄した赤沢宿


赤沢宿(山梨県早川町)
山の斜面に沿うように、巡礼者向けの旅籠や民家が点在しており、他ではあまり見られない独特な景観を楽しめます。

赤沢宿(山梨県早川町)
赤沢宿にある旅館跡の軒下にかかっている札は、講中札(こうちゅうふだ)と呼ばれるものです。これは、江戸時代から昭和初期にかけて、七面山や身延山などの霊山に参拝する人々が、その宿を利用した際にこういった札を記念に残しました。

赤沢宿(山梨県早川町)
赤沢宿は地形が斜面であるため、建物や畑を整備するために石垣が多く築かれました。

赤沢宿(山梨県早川町)
こうして築かれた石垣によって赤沢宿独特の美しい景観が形成されています。

大阪屋|赤沢宿(山梨県早川町)
大阪屋|赤沢宿(山梨県早川町)
赤沢は山深く傾斜の強い場所にもかかわらず、非常に大きな旅館が多くみられます。このことからも江戸後期から昭和初期にかけての繁栄ぶりがうかがえます。

赤沢宿(山梨県早川町)
参拝者は「講中」と呼ばれる信仰集団を組織して霊場を訪れることが多く、各地の講中が参拝時に利用した宿に、自分たちの講の名前や参拝の記念として札を奉納していました。この札が軒下にたくさんかかっていることは、その宿が多くの講中に利用されたことを示しています。

赤沢宿(山梨県早川町)
赤沢宿には、最盛期には20軒以上の旅館があったとされています。現在9軒の宿の建物が残されていますが、営業しているのは「江戸屋旅館」と「大阪屋」の2軒のみとなっています。

赤沢宿(山梨県早川町)
「講中宿」として分類されている重要伝統的建造物群保存地区は、全国でもここだけであり、非常に貴重な存在です。

アクセス


【電車でのアクセス】
JR下部温泉駅からタクシーで約25分
【車でのアクセス】
下の地図の場所に無料駐車場(赤沢宿駐車場)があります。
駐車場までの道中には、道幅がかなり狭くなっています。乗用車の通行は可能ですが、対向できない場所が多いので、注意して通行してください。



訪問日:2024年9月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、赤沢宿についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。




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