古い町並み
長崎市東山手・南山手の町並み(長崎県長崎市)
1858年の修好通商条約によって長崎では大浦湾を埋立て外国人居留地を開設し諸外国への貸し渡しが行われ1899年の居留地制度の廃止まで続きました。東山手と南山手の居留地には当時の名残を残す建造物が多く残され、それぞれ「長崎市東山手伝統的建造物群保存地区」「長崎市南山手伝統的建造物群保存地区」として「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。
相川の町並み(新潟県佐渡市)
1601年に最初の鉱山集落「上相川」ができ、1603年には佐渡奉行となった大久保長安が上町を中心に計画的な町づくりを進めました。続いて、海を埋め立てた土地を利用し、寛永年間(1624〜1643年)には「下町」も整備され、表通りと裏通りを持つ市街地が形成されました。
主計町茶屋街の町並み(石川県金沢市)
主計町茶屋街は、金沢三大茶屋街の一つに数えられ、東山ひがし(ひがし茶屋街)とともに重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。明治から昭和初期にかけての茶屋様式の町屋が多く残されており、金沢の主要な観光地となっています。かつて旦那衆が人目を避けて通った「暗がり坂」やベンガラ色の千本格子が続く細い路地は情緒たっぷりです。
産寧坂と清水寺(京都府京都市)
三年坂ともよばれる産寧坂は、清水寺の参道である「清水坂」から石段で降りる坂道と「二年坂」までの石畳の道で、清水寺と八坂の塔を結ぶ道であることもあり多くの観光客で賑わいます。
厳島神社と宮島の町並み
厳島神社の社伝によると593年(推古天皇元年)にこの地方の豪族、佐伯鞍職が神からのお告げを受け社殿を創建したことが始まりとされ、平家や源氏など時の権力者の崇敬を受けてきました。現在の社殿は仁治年間(1240年-1243年)以降に造営されたもので、1996年(平成8年)にはユネスコの世界文化遺産に登録されました。
豆田街と隈町の商家町(大分県日田市)
1639年(寛永16年)に日田御役所(日田陣屋、代官所)が置かれ天領となった日田は、陣屋膝下の町として発展していきました。天領時代に町人地として発展した豆田町は、現在においても往時の地割りと伝統的な建造物群がよく残されており2004年(平成16年)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
出石城下町(兵庫県豊岡市)
江戸時代、出石藩主は小出家から松平家、仙石家と替わり、五万八千石を有する出石藩は、但馬地方の政治や経済の中心地として栄えました。出石城下町には現在においても江戸時代に建築された上級武士の武家屋敷や酒蔵群などがよく残されており国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
美山町北の町並み(京都府南丹市)
美山町には茅葺き民家が多く残り、石垣に築かれた段々の屋敷地や、茅葺き屋根の建物が連続する景観を形づくっています。こうした景観は周囲の山林や社寺と調和し、歴史的な風情を今に伝えており、1993年(平成5年)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
筑後吉井(福岡県うきは市)
筑後吉井は江戸時代に城下町「久留米」と天領「日田」を結ぶ旧豊後街道の宿場町として発展し始め、江戸時代末期になると、酒や油や櫨蝋等の産業が集積する在郷町として繁栄しました。こうして富を得た吉井の商人たちは「居蔵屋」と称される重厚な蔵造りの商家を建てはじめ大正時代に最盛期を迎えました。
多気宿の町並み(三重県津市)
伊勢本海道は古くから大和と伊勢を結ぶメインルートでありましたが、特に江戸時代になると伊勢講によるお蔭参り(伊勢神宮への集団参詣)が盛んになり毎日多くの団体が行き交い大変賑わいました。現在も宿場町の面影を残す町並みが見事に残されており、大変見ごたえのあるものとなっています。
神代小路の町並み(長崎県雲仙市)
神代小路(こうじろくうじ)は元禄期に鶴亀城の東側に整備され、現在の武家屋敷群が形作られました。明治以降も神代小路の景観は地域住民の手によって守られており、2005年(平成17年)には重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。陣屋の跡の鍋島邸は国見神代小路歴史文化公園鍋島邸として整備されています。
所子の町並み(鳥取県大山町)
所子は、中世に下賀茂神社の領地となり、現在の集落の原型となる所子村が形成され、江戸時代中期頃にはほぼ現在の形の集落に発展しました。大山への参詣道である坊領道沿いには江戸から昭和初期に建てられた家屋群が現在も多く残されており、2013年には重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
山鹿の町並み(熊本県山鹿市)
豊前・小倉と肥後・熊本を結ぶ豊前街道沿いに位置する山鹿は、古くから湯のまちとして知られ、宿場町として、文化の中心地として栄えました。現在も豊前街道沿いには、八千代座や山鹿灯籠民芸館、寺社、薬師堂、古い商家が立ち並び、当時の面影を今に伝えています。
坂本の里坊群と町並み(滋賀県大津市)
坂本は古来より比叡山延暦寺および日吉大社の門前町(鳥居前町)として発展してきました。日吉大社参道の両側には、比叡山の隠居した僧侶が住んだ里坊が並び、穴太衆積みと呼ばれる石垣の街路が形成されています。
嵯峨鳥居本の町並み(京都市右京区)
嵯峨野の最も奥にある鳥居本は、江戸時代中期から愛宕詣の門前町として栄え、明治時代には、町家や茶店が愛宕街道沿いに建ち並び、観光地として発展しました。現在においても嵯峨野鳥居本は風致がよく保存されており、1979年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
五個荘金堂の町並み(滋賀県東近江市)
五個荘金堂は農村集落ではありますが、江戸中期になると農業の傍ら行商に出る商人が現れ、江戸時代の後期には呉服や綿・絹製品を中心に全国各地に出店する豪商も現れるようになりました。五個荘金堂には現在も陣屋と寺院を中心に形成された農村集落に、近江商人の本宅群と伝統的な農家住宅が良く残されており、1998年には国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。
祇園新橋の町並み(京都市東山区)
現在の八坂神社は、明治以前には「祇園社(ぎおんしゃ)」と呼ばれ、鴨川一帯に広がる広大な境内地を持っていたことから、この周辺は「祇園」と呼ばれるようになりました。祇園は、舞妓が行き交う花街としても広く知られ、格子戸が連なる町家の風情には、かつての優雅で格式ある雰囲気が感じられます。
岩国城下町と錦帯橋
岩国城下町は1600年 (慶長5年) に初代岩国藩主吉川広家が米子城から3万石で移封されたことに始まります。岩国城の麓には現在も当時の町割りや武家屋敷が残り、往時の姿を偲ぶことができます。また、錦川に架かる錦帯橋(1953年再建)は日本を代表する木造橋として岩国のシンボルとなっています。
角館の町並み(秋田県仙北市)
角館は中世以降の城下町ですが、1620年(元和6年)当時の城主芦名(あしな)氏が古城山北麓の城下町を現在地に移転し、火除けのための広場を中央に、その北側を内町(武士居住区)に南側を外町(町人居住区)とする町割を行ないました。角館には当時の町割は現在も残されており重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
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