古旅 日本の古い町並み

長崎市東山手・南山手の町並み(長崎県長崎市)


2023年4月15日  古い町並み , 重要伝統的建造物群保存地区 , 長崎県

【町並み感動度】
★★★★★
★★★★★83

町並み保存度
★★★★★
★★★★★80
連続した町並みといった感じではありませんが、外国人居留地の洋館が見事に保存されています。
町並みの規模
★★★★★
★★★★★90
東山手・南山手の両方の保存地区の範囲は大変広大なものになります。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★90
海を見下ろす高台にある外国人居留地は長崎ならではの風景で一見の価値があります。大変人気のある観光地で誰もが楽しめる場所になっています。

1858年にアメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスの5ヵ国と結ばれた修好通商条約によって、長崎では大浦湾の出島より南側の海岸を埋立てて外国人居留地を開設し1860年(万延元年)より諸外国への貸し渡しが行われました。
外国人居留地の貸し渡しは1899年の居留地制度の廃止まで続きました。
オランダ坂などで知られる東山手の居留地は、当時ポルトガルやアメリカの領事館や礼拝堂が建っており、跡地にミッション系の学校が多く建てられるようになり現在にいたっています。
南山手の居留地には明治時代の洋風住宅建築が多く残されており大浦天主堂やグラバー園は長崎市のシンボルとなっています。

東山手と南山手の居留地はそれぞれ「長崎市東山手伝統的建造物群保存地区」「長崎市南山手伝統的建造物群保存地区」として「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されています。


目次

長崎市東山手伝統的建造物群保存地区


大浦の商館と海を見下ろす高台に位置する東山手の居留地は、当時「領事館の丘」とも呼ばれ、ポルトガル、アメリカの領事館や礼拝堂が建っていました。
その後、領事館や礼拝堂の跡地にミッション系の学校が多く建てられるようになり現在にいたっています。


オランダ坂


オランダ坂
1858年(安政5年)の欧米列強との通商条約を締結するにあたって、幕府は外国人居留地の開設を計画し大浦湾に大規模な埋め立てなどを行い、1860年(万延元年)より諸外国への貸し出しが始まりました。埋立地は南北の丘陵地(東山手・南山手)に挟まれる形になり、平地と丘陵地の間は石畳の坂道で結ばれました。特に「誠孝院前の坂」、「活水坂」、「活水学院下の坂」の三つの坂は総称してオランダ坂と呼ばれています。

雨のオランダ坂
雨に濡れた石畳が一層美しいオランダ坂の石畳です。雨のオランダ坂という歌もあるように生憎の雨もオランダ坂では得をした気分になります。

東山手甲十三番館


東山手甲十三番館
明治中期に建てられた外国人居留地の代表的な洋館で、フランス代理領事アンドレ・ブクリ氏が住んでいました。木造2階建て寄せ棟造りで、2007年に国の登録有形文化財に登録されています。

東山手十二番館(長崎市旧居留地私学歴史資料館)


東山手十二番館(長崎市旧居留地私学歴史資料館)
東山手十二番館は1868年に建設された洋館で、東山手地区では現存する最古のもの建築になります。外国人居留地を代表する洋風建築で、1988年に国の重要文化財に指定されています。当初はロシア領事館が置かれていましたが、その後アメリカ領事館やメソジスト派の宣教師などの住宅として使用されました。

東山手十二番館
現在は長崎市旧居留地私学歴史資料館としてミッションスクールの歴史が紹介されているほか、宣教師が使用していた家具などが展示されています。

活水初期の校舎の風景
アメリカ領事館やメソジスト派の宣教師などの住宅として使用されたのち、1941年に学校法人活水学院に譲渡され教室としても使われました。

東山手洋風住宅群


東山手洋風住宅群
7棟からなる東山手洋風住宅群は1890年代頃(明治20年代後半頃)の建築で、意匠や仕上げが質素であることなどから社宅や賃貸住宅として建てられたものと考えられています。このような用途の洋風住宅群が残っていることは、全国的にも大変珍しく東山手でしか見ることができない貴重な景観のひとつとなっています。

東山手洋風住宅群

長崎孔子廟 中国歴代博物館


長崎孔子廟 中国歴代博物館
孔子廟とは儒学の創始者である孔子の遺品を祀っている霊廟のことで、長崎の孔子廟は1893年(明治26年)に華僑の人々と清国政府の協力によって、東山手の外国人居留地に建築されました。原爆投下によって一時は崩壊寸前となったものの再び華僑の人々の手によって修理され、1967年より「長崎孔子廟 中国歴代博物館」として一般公開されています。
詳しくは長崎市公式観光サイトでご確認ください。
https://www.at-nagasaki.jp/spot/108

長崎市南山手伝統的建造物群保存地区


長崎湾を見下す丘の上に位置する南山手地区には明治時代の洋風住宅建築が多く残されています。なかでも1864年(元治元年)に建築された大浦天主堂やグラバー園は長崎市のシンボルとなっています。


国宝 大浦天主堂


国宝 大浦天主堂
大浦天主堂はプティジャン司教の指導のもとに1865年に献堂式が行われた日本で最古の教会です。1597年、西坂の丘で殉教した日本二十六聖人に捧げられた教会で、殉教地の方向に向けて建てられました。

周辺の町並み


長崎新地中華街


長崎新地中華街
長崎新地中華街のあたりは江戸時代には唐船の荷物を収納する土蔵があり新地蔵所と呼ばれていました。現在、長崎新地中華街は長崎の観光名所となり多くの人で賑わっています。旧正月には長崎ランタンフェスティバルが行われ冬の風物詩となっています。

眼鏡橋


眼鏡橋
川面に映るその姿から眼鏡橋という名前で有名なこの橋は、1634年(寛永11年)に興福寺の黙子如定(もくすにょじょう)禅師が架設したとされる日本最古の石造りアーチ橋です。黙子如定禅師は渡来した唐僧であり石橋をかける技術指導者でもあったようです。国指定重要文化財に指定されています。

アクセス


【電車でのアクセス】
路面電車(長崎電気軌道)「石橋」電停から徒歩4分

【車でのアクセス】
長崎市松が枝町駐車場(下記地図の場所)など周辺に有料駐車場が複数あります。割高な駐車場もあるようですので利用される場合は注意してご確認ください。



訪問日:2022年10月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、長崎市についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。




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