古旅 日本の古い町並み

MENU

豆田街と隈町の商家町(大分県日田市)


2024年1月22日  古い町並み , 重要伝統的建造物群保存地区 , 大分県

【町並み感動度】
★★★★★
★★★★★82

町並み保存度
★★★★★
★★★★★85
特に南北に走る御幸通りと上町通りに伝統的な商家が多く残されています。
町並みの規模
★★★★★
★★★★★70
町並みはそれほど広くありませんが、古い商家が軒を連ねる風景は圧巻です。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★90
通りに連続して並ぶ商家の町並みは素晴らしく、土産物店や飲食店などもあり誰もが楽しめる場所です。少し交通量が多いため車には注意が必要です。

古くから水郷日田として知られていた日田は、九州北部の各地を結ぶ交通の要衝として栄えました。
1639年(寛永16年)に日田は天領(幕府直轄地)となると、旧永山城の城域に日田御役所(日田陣屋、代官所)が置かれ、陣屋膝下の町として発展していきました。
1767年(明和4年)には代官より格上の西国筋郡代に昇格すると、日田は江戸幕府によるの西国統治の拠点としてますます重要になり、九州の政治、経済、文化の中心地として繁栄しました。
現在の町割りは、1724年(享保9年)以降に西国郡代増田道脩により改修されたものです。

天領時代に町人地として発展した豆田町は、現在においても往時の地割りと伝統的な建造物群がよく残されていることから町並み保存運動が行なわれ、2004年(平成16年)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。


目次

豆田の商家町(大分県日田市)


御幸通り


御幸通りfurutabi.com>
豆田町には南北2本の通り(御幸通りと上町通り)と東西5本の通りがあり、この町割は江戸初期の城下町建設時の形状を引き継ぐものです。

豆田町の町家furutabi.com>
豆田町の町家は度重なる火災を契機に、茅葺の町家から火災に強い居蔵造(いぐらづくり)へと変わっていきました。整然とした街区には江戸期から大正期に建てられた居蔵造の町家が多く残されています。

豆田町furutabi.com>
豆田町には飲食店や色々なお店として利用されている町家も多く観光客で賑わいます。

草野家住宅(国指定重要文化財)


草野家住宅(国指定重要文化財)
草野家住宅(国指定重要文化財)
1641年(寛永18年)にこの地に移り住んだ草野家は生蝋の製造販売を営んでいました。1900年(明治33年)には十七代目の忠右衛門が日田水電を起業し、さらに日田銀行も設立しました。2014年(平成26年)度より主屋と各蔵の保存修理工事が施されました。

旧船津歯科(豆田まちづくり歴史交流館)


旧船津歯科(豆田まちづくり歴史交流館)
旧船津歯科(豆田まちづくり歴史交流館)
この建物は当初は長屋でしたが、1928年(昭和3年)に歯科医院として洋風に改造されたもので、豆田では数少ない擬似洋風建築物となっています。現在は豆田まちづくり歴史交流館として無料で公開されており、懐かしい歯科診療の設備などを見学できます。

旧古賀医院診療所(豆田まちづくり歴史交流館)


旧古賀医院診療所(豆田まちづくり歴史交流館)
旧古賀医院診療所(豆田まちづくり歴史交流館)
この洋風建築は古賀医院の建物で1932年(昭和7年)に江戸期に町年寄を務めた中村家の敷地跡に建てられました。現在は船津歯科と同様に豆田まちづくり歴史交流館として無料で公開されています。

上町通り


上町通りfurutabi.com>
黒漆器の重厚な建物です。写真左には天領まちの駅もあり、色々なお店が並び観光客で賑わいます。

クンチョウ酒造株式会社


クンチョウ酒造株式会社
クンチョウ酒造株式会社
個性的な屋根と煙出しが目を引くこの屋敷は江戸期から酒造業を営んでいた丸屋千原家から冨安家が昭和初期に買い取ったものです。現在は冨安家がクンチョウ酒造を営んでいて、酒蔵7棟と事務所、冨安家の住居と土蔵が広大な敷地内にあります。

廣瀬淡窓旧宅


廣瀬淡窓旧宅
廣瀬淡窓旧宅
廣瀬家は1673年(延宝元年)にこの地に移り住み博多屋の屋号で商売をしていました。主屋は1772年(安永元年)の大火で焼失した後に建てられたものです。

岩尾家住宅(旧日本丸館製薬所)


岩尾家住宅(旧日本丸館製薬所)国登録有形文化財
岩尾家住宅(旧日本丸館製薬所)国登録有形文化財
岩尾家住宅(岩尾薬舗)は大正15年に主屋が建てられ、昭和前期に3階展望楼が化粧軒の銅板葺屋根で増築されました。

隈町(くままち)の町並み(大分県日田市)



日田には豆田町から南へ約2kmの場所に隈町という町があり、豆田町を隈町の二つの町を併せて日田両町と言われ繁栄しました。
隈町は1594年(文禄3年)に宮城豊盛によって築かれた日隈城の城下町として形作られ、1596年(慶長元年)に毛利高政によってほぼ現在の町割りが築かれました。


三隈川沿いの町並み
三隈川沿いの町並み
江戸時代を通して商人町として繁栄し、三隈川沿いには多くの町家が川に張り出すように建てられました。1960年頃から隈町三隈川沿岸は日田温泉の温泉街が形成され、現在は江戸時代からの商人町の面影と昭和の温泉街の雰囲気が入り混じるレトロな町並みとなっています。

隈町の町並みfurutabi.com>
隈町の三隈川沿岸の通りには古い建築が随所に見られます。

隈町の町並みfurutabi.com>
海鼠塀と漆喰の重厚な建物もあり、往時の面影を残します。

隈町(くままち)の町並みfurutabi.com>

山田家住宅 日田代官御用達の旧家
山田家住宅 日田代官御用達の旧家
山田家は京屋という屋号で日田が天領の時代に町年寄を務めた旧家です。この建物は1815年(文化13年)に建てられたものです。

旧大分銀行日田支店
旧大分銀行日田支店
1916年(大正5年)に建てられた旧大分銀行日田支店の建物です。1943年(昭和18年)から近年までは「浜田医院」として長く親しまれ、現在は地域施設「隈まちづくりセンター黎明館」として利用されています。

アクセス


【電車でのアクセス】
JR日田駅から町並みのエリアまで徒歩約20分です。
【車でのアクセス】
下の地図の場所に無料駐車場(日田市営 豆田港町駐車場)があります。無料の市営駐車場は「豆田港町」「豆田西」「豆田北」の3箇所あります。





訪問日:2023年3月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、豆田町の町並みについての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。


ページ上に戻る


コメントを書く
メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です。
コメント *
お名前 *

サイト

メール











ページ上に戻る

furutabi.com