【城感動度】 |
城保存度
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本丸跡北西隅に人質櫓(二重櫓)と西丸に宗門櫓(平櫓)が現存し、石垣、土塀、堀とともに大分県の史跡に指定されています。 | |
城の規模
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現存する石垣からも大変な規模であったことがわかります。現存する人質櫓(二重櫓)と宗門櫓に加え復元された西丸二重櫓、大手門、廊下橋など見ごたえがあります。 | |
観光魅力度
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大分駅から徒歩15分程度の場所にあり大分市の市内観光にも便利です。 |
1597年(慶長2年)に臼杵より転封した豊臣秀吉家臣の福原直高は、堅固な城郭を求めて「荷落(におろし)」と呼ばれていた大分川の河口付近に築城を開始しました。
直高は「荷落」の地名を嫌い縁起を担ぎ地名を「荷揚」に改め、1599年(慶長4年)に「荷揚城(にあげじょう)」の本丸と二の丸、三の丸が完成しました。
しかし石田三成派であった直高は徳川家康によって再び臼杵に転封され、代わって早川長政が入城しました。
長政も関ヶ原の戦いで西軍に付いたことで改易となり、1601年(慶長6年)竹中重利が3万5千石で入城しました。
直高の時代に築城された荷揚城は竹中重利によって天守が建てられるなど大改修が行われ、1607年(慶長12年)に概ね完成しました。
1743年(寛保3年)の大火により天守を含む大部分の建造物が焼失し、以後、天守は再建されませんでした。
1945年(昭和20年)大分空襲によって大手門と櫓3棟が焼失しましたが、1965年(昭和40年)に東丸着到櫓・二重櫓、西丸二重櫓、大手門の外観が復元され、また1996年(平成8年)には西丸と山里曲輪を結ぶ廊下橋が木造で復元されるなどし、2006年(平成18年)に日本100名城に選定されました。
目次 ・天守台 ・アクセス |
【電車でのアクセス】
JR大分駅から徒歩約15分です。
【車でのアクセス】
下の地図の場所に「市営荷揚中央駐車場・市営荷揚西駐車場」(24時間営業・有料:30分100円)があります。
訪問日:2023年3月
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