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鳥取城跡と仁風閣(鳥取県鳥取市)


2024年3月13日  , 鳥取県

【城感動度】
★★★★★
★★★★★53

城保存度
★★★★★
★★★★★50
明治に建物は取り壊され、石垣も鳥取大地震で多くが崩壊しましたが、2006年以降徐々に復元が進められています。
城の規模
★★★★★
★★★★★60
標高263メートルの久松山に築城された山城で、石垣から大変な規模であったことがうかがえます。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★50
三上の丸跡まで登ると鳥取市内が一望できます。戦国から江戸までの様々な遺構が随所に残されており散策しがいがあります。

目次

標高263mの久松山に築かれた山城・鳥取城


鳥取城は、天文年間、因幡の守護であった山名誠通が標高263メートルの久松山に山城を築いたことに始まります。
現在見られる石垣で造られた城の姿は、1582(天正10年)から1849年(嘉永2年)の約270年の間に段階的に整備されたものです。
1617年(元和3年)に池田光政が32万石の大封で入府すると、居城である鳥取城も大大名に相応しい規模に拡張され、中ノ御門から続く大手登城路や、天球丸二ノ丸など城の主要な部分が整備されました。

明治時代になると城の建物の大半が取り壊され、残った石垣も1943年(昭和18年)の鳥取大地震で多くが崩壊しましたが、復元計画によって2006年以降徐々に復元が進められています。


鳥取城の石垣と門跡


鳥取城の堀
鳥取城の堀

擬宝珠(ぎぼし)橋と鳥取城の大手門である中ノ御門表門
擬宝珠(ぎぼし)橋と鳥取城の大手門である中ノ御門表門
2018年に復元された「擬宝珠(ぎぼし)橋」を渡った先にある門は、鳥取城の大手門となる「中ノ御門表門(なかのごもんおもてもん)」で2021年に復元されました。

中仕切門
中仕切門

表御門跡
表御門跡

菱櫓跡
菱櫓跡
菱形に構築された櫓台の上に菱形の櫓が建てられていたようです。明治に取り壊せれるまでこの場所に立っていました。

天球丸跡に残された全国唯一の「巻石垣」


全国唯一の天球丸の「巻石垣」 furutabi.com>
二の丸の一段上、平山城部の最高所にあり、池田長吉の姉で若桜鬼ヶ城主・山崎家盛の夫人だった天球院が居住していました。建物は享保5年の石黒火事で焼失した後、長らく放置されていましたが幕末にはお稽古所が設置されました。近年の発掘調査によって、江戸時代後期には天球丸の石垣崩落を防止することを目的に、球面を持つ「巻石垣」によって石垣が補強されたことが明らかになり、2012年に巻石垣が復元されました。

鳥取城の扇御殿跡に建てられた洋館・仁風閣


仁風閣furutabi.com>
仁風閣は、1907年に鳥取城の扇御殿跡に建てられた木造2階建て白亜塗りのフレンチルネッサンス様式の建築で、旧鳥取藩主池田仲博侯爵の別邸という名目で建てられましたが、当時の皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓時の宿泊を意図して設計・建築されたとされています。

鳥取城の扇御殿跡に建てられた洋館・仁風閣furutabi.com>
明治以降は鳥取市の所有となり、迎賓館や公会堂として利用されてきました。現在は一般150円(小・中・高校生は無料)で公開されています。

アクセス


【電車でのアクセス】
JR鳥取駅から徒歩約30分
【車でのアクセス】
下の地図の場所に無料駐車場(博物館駐車場)があります。




訪問日:2023年4月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、鳥取城や仁風閣についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。


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