【城感動度】 |
城保存度
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明治に建物は取り壊され、石垣も鳥取大地震で多くが崩壊しましたが、2006年以降徐々に復元が進められています。 | |
城の規模
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標高263メートルの久松山に築城された山城で、石垣から大変な規模であったことがうかがえます。 | |
観光魅力度
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三上の丸跡まで登ると鳥取市内が一望できます。戦国から江戸までの様々な遺構が随所に残されており散策しがいがあります。 |
目次 ・アクセス |
鳥取城は、天文年間、因幡の守護であった山名誠通が標高263メートルの久松山に山城を築いたことに始まります。
現在見られる石垣で造られた城の姿は、1582(天正10年)から1849年(嘉永2年)の約270年の間に段階的に整備されたものです。
1617年(元和3年)に池田光政が32万石の大封で入府すると、居城である鳥取城も大大名に相応しい規模に拡張され、中ノ御門から続く大手登城路や、天球丸二ノ丸など城の主要な部分が整備されました。
明治時代になると城の建物の大半が取り壊され、残った石垣も1943年(昭和18年)の鳥取大地震で多くが崩壊しましたが、復元計画によって2006年以降徐々に復元が進められています。
【電車でのアクセス】
JR鳥取駅から徒歩約30分
【車でのアクセス】
下の地図の場所に無料駐車場(博物館駐車場)があります。
訪問日:2023年4月
最後まで見ていただきありがとうございます。
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