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倉吉の白壁土蔵群(鳥取県倉吉市)


2024年3月26日  古い町並み , 重要伝統的建造物群保存地区 , 鳥取県

【町並み感動度】
★★★★★
★★★★★88

町並み保存度
★★★★★
★★★★★90
玉川沿いの土蔵群は見事に保存されており大変見ごたえのあるものとなっています。
町並みの規模
★★★★★
★★★★★85
玉川沿いの土蔵群だけでなく、広い範囲にわたって商家の町並みが広がっています。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★90
風光明媚な連続した町並みは素晴らしく、ほどよくお土産店などもあり誰もが楽しめる場所です。

南北朝時代(14世紀中頃)に山名氏の守護所として打吹城が築かれた倉吉は城下町として発達してきました。
1609年(慶長14年)、打吹城は江戸幕府の直轄支配地となった後、1614年に鳥取藩へ組み込まれると、鳥取藩主池田氏に仕えた荒尾氏による自分手政治の地となり、打吹山麓に陣屋(倉吉陣屋)が置かれ明治維新まで続きました。

倉吉陣屋の外堀であったと伝えられる打吹玉川の周囲は、江戸時代初期から大正時代まで商業都市として栄えた地区で、石州瓦の町家群や土蔵群など約100棟が現存しています。
往時の姿を今に伝える町並みは「倉吉市打吹玉川伝統的建造物群保存地区」として1998年(平成10年)に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。


目次

打吹玉川(うつぶきたまがわ)と土蔵群


玉川と土蔵群furutabi.com>
玉川は江戸時代、打吹山麓に倉吉陣屋が置かれていた頃に外堀として掘られたものと伝えれています。玉川の周囲には石州瓦の町家群や土蔵群など約100棟が現存しています。

打吹玉川(うつぶきたまがわ)と土蔵群furutabi.com>
玉川を境界線として町人町と職人町が区別されており、玉川の北側(写真左)には仏具屋・畳屋・樋屋などの職人町が形成され、南側(写真右)には商家が多く集まっていました。商家の細長い建物の裏口には木戸を設け、玉川かけた石橋を渡って通りに出ることができるようになっています。

玉川・研屋町furutabi.com>

石州瓦の町家群


元倉吉絣工場跡
元倉吉絣工場跡
倉吉では江戸時代中期の頃から自家用に縞絣(かすりじま)が織られはじめ、明治時代には花鳥山水などの絵絣(えがすり)などが商用に生産されるようになりました。明治時代の中頃には最盛期を迎え6つの機織工場に200人以上の女工さんを抱えていたようです。

倉吉の商家で多くみられる石州瓦(せきしゅうがわら)は、島根県の石見地方で生産されている粘土瓦のことで、三州瓦、淡路瓦と並ぶ日本三大瓦の一つとされています。

高田酒造
高田酒造
高田酒造の主屋は江戸時代1843年(天保14年)の建築で県指定の保護文化財に指定されています。

桑田醤油販売所
桑田醤油販売所
1877年(明治10年)創業の老舗醤油店です。

西町界隈
西町界隈
西町界隈は、武家屋敷街と町人町が接する場所であり、倉吉から他の町への街道の接点でもあったことから、倉吉の町人町の中心でした。

アクセス


【電車でのアクセス】
JR倉吉駅下車し、倉吉駅バスターミナルから「市内経由線」で「西倉吉、関金、大宮、桜、大河内、赤碕」行きのバスで「赤瓦・白壁土蔵」バス停で下車。
詳しくは倉吉観光情報のウェブサイトでご確認ください。

【車でのアクセス】
下の地図の場所に無料駐車場(倉吉市役所 第1観光駐車場)があります。





訪問日:2023年4月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、倉吉の白壁土蔵群についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。


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