町並み感動度ランキング
須坂の町並み(長野県須坂市)
古くから谷街道・大笹街道・山田道が交わる交通の要衝であった須坂は、江戸時代には須坂藩堀氏の陣屋が置かれ陣屋町として発展しました。明治時代になると、裏川用水を利用した製糸業が製糸業が盛んにおこなわれるようになり須坂は商業都市としてさらに繁栄しました。
上賀茂社家町の町並み(京都市北区)
京都の上賀茂神社の南東の上賀茂本通には、明神川に沿って、石垣と土塀に囲まれた旧家、明神川に架かる小橋、瓦葺きの門などの町並みが続く「社家町」が残されています。社家の町並みは、1988年(昭和63年)には重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
勝山の町並み(岡山県真庭市)
1764年(明和元年)に勝山を治めることになった三浦明次は城を整備して「勝山城」と名付け城下町を整え、美作勝山藩2万3千石の城下町として発展させました。現在においても街道沿いには白壁に格子窓、なまこ壁の収蔵庫、旭川には高瀬舟の発着場跡など、当時の雰囲気を残す町並が残り、岡山県指定町並保存地区となっています。
広川の町並み(和歌山県広川町)
広川の町は室町時代に畠山氏が広城を築いたのがはじまりで、その後この地を支配した湯川氏が街路を設けるなど発展の礎を築きました。海運業が盛んになり銚子で醤油醸造を営むなど関東で商売をしながらもこの町に居宅を置いていたことが町並みの形成に大きな影響を与えました。
岸和田・紀州街道の町並み
紀州街道は大坂の高麗橋から岸和田を経由して和歌山城下の京橋を結ぶ南北往来の街道で、1602年(慶長7年)頃に沿岸部を結ぶ街道として整備されました。紀州徳川家がこの街道を参勤交代に使用するようになると街道の整備がさらに進み、街道沿いには多くの商家や町屋が建ち並ぶようになりました。
宇津ノ谷集落(静岡県静岡市)
中世から交通の要所として栄えた宇津ノ谷は、江戸時代に東海道が整備されると、大名行列が行き交う街道の一部となりました。宇津ノ谷峠の周辺には鞠子宿と岡部宿が設けられ、その中間地点にあたる「間の宿」として、宿屋や商店が立ち並び賑わいました。宇津ノ谷には往時の面影を残す町並みが現在も見られ、2010年には国の史跡に指定されました。
安芸の町並み(高知県安芸市)
土居廓中は、戦国時代に築かれた安芸城を中心に、江戸時代に土佐藩の家老・五藤家が大規模な屋敷を構えたことで形成された武家町です。こうした歴史的な町並みは、武家地特有の風情を今に伝えており、2012年(平成24年)には、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。
街道東城路の町並み(広島県庄原市)
東城は、岡山県新見へ向かう備中新見路と、福山へ向かう東城路が交差する場所に発展した城下町で、宿場町としてもにぎわい、中国地方各地から街道が集まる交通の要衝でもありました。現在も、東城には江戸時代や明治の建築が残り、往時の面影を色濃く伝えています。
明智町(日本大正村)の町並み(岐阜県明智町)
明智町は飛騨高山〜岡崎を結ぶ南北街道と、名古屋〜信州飯田を結ぶ中馬街道(塩の道)とが交差する宿場町として発展しました。大正博物館「日本大正村」は1989年(昭和63年)4月、明智町の町おこしとして立ち上げられました。
二見浦の町並み(三重県伊勢市)
二見浦は古くから伊勢神宮参拝客の旅籠町として発展してきました。現在も現役の旅館街として、JR二見浦駅から二見興玉神社の間に和風旅館や土産物屋が軒を連ねています。
津島町岩松の町並み(愛媛県宇和島市)
岩松は、もともとは農村でしたが、物資の集散地として発展し、江戸後期から近代にかけては、製蝋業や塩田・新田の開発、酒造業などを中心に繁栄しました。現在も、江戸末期から昭和40年代に建てられた平入りの町家や土蔵、離れ、農家住宅が残り、2023年(令和5年)には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
松本(中町・縄手)の町並み(長野県松本市)
松本市は国宝松本城を中心とする城下町で第二次世界大戦による戦災を免れたため歴史的建造物が多く残っています。蔵のある街「中町」や四柱神社の参道として発達した「縄手」には特に多くの古い建物が残されています。
大和郡山の町並み(奈良県大和郡山市)
金魚の町としても有名な大和郡山は奈良県では数少ない城下町で、江戸時代に入ると「郡山藩」として大和国の政治・経済・文化の中心地として繁栄しました。現在も城下町には藍染め職人の町であった「紺屋町」、遊郭の名残を残す「洞泉寺町」などに古い町屋が残り当時の面影をみることができます。
神戸北野異人館街(兵庫県神戸市)
日米修好通商条約の締結によって日本の鎖国は終わると、1867年(慶応3年)の神戸港開港に合わせて、港の近くに外国人居留地が設けられ、この街は「東洋で最も美しい」と称えられました。現在、北野町に残る異人館は、明治中期から大正初期にかけて外国人建築家によって設計された木造洋館で、1995年の阪神・淡路大震災で大きな被害を受けましたが、全国からの支援で修復が進められ、現在も観光地として多くの人々を魅了しています。
小木町の町並み(新潟県佐渡市)
佐渡島の南端に位置し古くから港町として発展してきた小木は、江戸時代には、佐渡金山の金や銀を運ぶ重要な拠点となり、また風待ち港としても賑わい、佐渡の主要な玄関口として栄えました。市街地には、現在においても1904年の大火後に再建された建物が多く残り、当時の町の姿を今につたえています。
柴又帝釈天と参道(東京都葛飾区)
柴又帝釈天は、江戸時代初期の1629年に創建された日蓮宗のお寺で、庚申信仰の場として多くの参拝者を集めました。映画『男はつらいよ』の舞台としても知られる京成柴又駅から続く参道には、草だんごや川魚料理の店など古くからの木造の古い店舗が数多く建ち並んでいます。こうした歴史や風情ある町並みは、2018年に国の重要文化的景観に選ばれました。
弘前の町並み(青森県弘前市)
弘前城北側の侍町は仲町とよばれ、武家住宅や表門が点在し、サワラ生垣や板塀、庭や樹木がつくる江戸時代の敷地割りを伝える貴重な武家町となっています。1978年(昭和53年)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
蒲生麓の町並み(鹿児島県姶良市)
飫肥の城下は江戸時代には飫肥藩五万一千石の城下として、明治時代から昭和にかけても南那珂郡の政治経済の中心地として栄えました。現代においても、江戸時代始めの街路がそのまま残り、1977年(昭和52年)には九州で最初の国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
伊賀上野の町並み(三重県伊賀市)
1611年(慶長16年)に伊賀上野城が築城されるとともに藤堂高虎によって町普請が行われ伊賀上野藩の城下町として栄えました。五目地割法によって町並みは碁盤状に区画され、侍屋敷や三筋町(本町、二の町、三の町)が作られました。
東海道・由比宿(静岡市清水区)
由比宿は、東海道五十三次の16番目の宿場町で、薩埵峠(さったとうげ)の東麓に位置しています。当時の由比宿には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠32軒があり、静岡県内の宿場の中では最も小さな規模でしたが、現在も往時の面影を残す町並みが残っています。
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