町並み感動度ランキング
萩市浜崎の町並み(山口県萩市)
萩市の浜崎地区は、江戸時代に廻船問屋や船宿、海産物の卸・加工業で栄え、大正から昭和初期にはイリコの加工や夏みかんの積み出し港としても重要な役割を果たしました。現在も江戸時代の街路や地割がよく残っており、町筋には江戸から昭和前期にかけての100棟以上の町家や土蔵が建ち並んでいます。
中山道・茂田井間の宿(長野県佐久市)
茂田井宿は、中山道の望月宿と芦田宿の間に位置する「間の宿」です。江戸時代、幕府は本宿以外での宿泊を禁じていたことから、茂田井宿は旅籠を持たない間の宿として発展しました。現在も街道沿いには2件の酒蔵を中心に土蔵や古い建物が残り、中山道の往時の面影が色濃く息づいています。
寺町寺院群とにし茶屋街(石川県金沢市)
旧北国街道が南北に通る地域の南側に広がる寺町台地には、慶長期から延宝期にかけて建てられた寺院群があります。また寺町台のすぐ近くには「にし茶屋街」があります。「ひがし茶屋街」などと比較すると規模は小さいものの風情ある素晴らしい町並みが残されています。
山町筋の町並み(富山県高岡市)
1609年(慶長14年)、前田利長が高岡城を築き城下町を整備しました。町の中心である山町を含め多くの家屋は1900年(明治33年)に起きた大火によって被災しましたが、その後の火災に強い土蔵造りで再建されました。現在も山町筋には土蔵造りや真壁造りの家屋が多く残っています。
三国湊の町並み(福井県坂井市)
古くから物流の拠点として栄えた三国湊は、江戸時代中期に北前船が盛んになると、三国湊は日本海側有数の寄港地として大きく繁栄しました。その後、物流の中心は船から鉄道になりましたが、現在も三国湊の町には豪商の面影を伝える町家や洋風建築など、港町として栄えた往時を物語る建物が数多く残されています。
金沢の町並み(石川県金沢市)
1583年(天正11年)の前田利家の入城以降、大規模な城づくりが行われ、江戸時代になると大名中最大の百万石の城下町として栄えました。前田家の歴代藩主が工芸振興に力を入れたため、九谷焼などの伝統工芸や、能楽などの伝統芸能が発展し、現在においても受け継がれています。
井波の町並み(富山県南砺市)
「井波彫刻」で知られる彫刻の町である井波町は600年以上にわたって瑞泉寺の門前町として栄えてきました。井波彫刻の歴史は瑞泉寺の歴史でもあり、1390年(明徳元年)に建立された瑞泉寺は焼失の度に井波の宮大工により再建されてきました。現在でも井波の町には約250人もの彫刻師がいて、八日町通りには彫刻工房が軒を連ね情緒ある風景を作り出しています。
荻ノ島かやぶきの里(新潟県柏崎市)
荻ノ島かやぶきの里は、集落の中央に広がる水田地帯「マエダ」を囲むように、民家や道、水路が一体となって配置されています。このように円を描くように並ぶ茅葺き屋根の家々は「荻ノ島環状集落」として知られています。
木曾平沢の町並み(長野県塩尻市)
木曾平沢は江戸幕府により中山道のルートとして整備され奈良井宿の枝郷という位置付けになり、高地の寒冷気候が漆工に適していることもあって漆工町として発展しました。奈良井川に沿って本通り(中山道)と金西町を中心に江戸時代末期から昭和時代初期の漆工町の特徴を伝える伝統的な建築が多く現存しています。
平福の町並み(兵庫県佐用町)
平福は因幡街道の交通の要所として町並みが形成され、因幡街道最大の宿場町として栄えました。街道に沿って南北に1.2キロほど続く町並みは、現在も当時の姿を残しています。佐用川の石垣に並ぶ白壁の川屋敷、川座敷、土蔵群は平福ならではの景観です。
松ヶ崎の町並み(新潟県佐渡市)
松ヶ崎は、奈良時代から続く佐渡でも歴史の古い湊町で、古代には北陸道の「松ヶ崎駅」が置かれ、佐渡の表玄関として栄えました。江戸時代には海運や北海道交易で富を築いた人々が多く、明治初期ごろまで番所が置かれ、海上交通の要所として大いに賑わいました。現在のおいても当時の宿場町を思わせる家並みを見ることができます。
柳川の町並み(福岡県柳川市)
柳川は、10万9000石を誇った柳川藩の城下町です。初代柳川藩主となった田中吉政が城や堀を大規模に整備し、柳川城は歴代藩主の居城として発展しました。城下町の町割りや縦横に巡る堀割は江戸時代の姿を今もよく残しており、水郷ならではのお堀めぐりや城下町散策を楽しめるのが柳川の大きな魅力です。
名張の町並み(三重県名張市)
1636年(寛永13年)、初代藤堂高吉が伊予の国今治から名張に入り屋敷を構えて本格的に街づくりをはじめました。また、初瀬(はせ)街道と呼ばれる伊勢へのおかげ参りの宿場町として大変賑わいました。
白市の町並み(広島県東広島市)
戦国時代に白市城が築かれたことをきっかけに発展した白市は、交通の要衝であったことから、江戸時代には藩内最大規模の牛馬市が開かれるなど大変栄ました。町には酒造業や瀬戸内海沿岸の塩田を営む豪商も現れ、幕末頃からは鋳物業も盛んになりました。現在は静かな白市ですが、当時の繁栄を伝える町並みが残されています。
須坂の町並み(長野県須坂市)
古くから谷街道・大笹街道・山田道が交わる交通の要衝であった須坂は、江戸時代には須坂藩堀氏の陣屋が置かれ陣屋町として発展しました。明治時代になると、裏川用水を利用した製糸業が製糸業が盛んにおこなわれるようになり須坂は商業都市としてさらに繁栄しました。
上賀茂社家町の町並み(京都市北区)
京都の上賀茂神社の南東の上賀茂本通には、明神川に沿って、石垣と土塀に囲まれた旧家、明神川に架かる小橋、瓦葺きの門などの町並みが続く「社家町」が残されています。社家の町並みは、1988年(昭和63年)には重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
勝山の町並み(岡山県真庭市)
1764年(明和元年)に勝山を治めることになった三浦明次は城を整備して「勝山城」と名付け城下町を整え、美作勝山藩2万3千石の城下町として発展させました。現在においても街道沿いには白壁に格子窓、なまこ壁の収蔵庫、旭川には高瀬舟の発着場跡など、当時の雰囲気を残す町並が残り、岡山県指定町並保存地区となっています。
広川の町並み(和歌山県広川町)
広川の町は室町時代に畠山氏が広城を築いたのがはじまりで、その後この地を支配した湯川氏が街路を設けるなど発展の礎を築きました。海運業が盛んになり銚子で醤油醸造を営むなど関東で商売をしながらもこの町に居宅を置いていたことが町並みの形成に大きな影響を与えました。
岸和田・紀州街道の町並み
紀州街道は大坂の高麗橋から岸和田を経由して和歌山城下の京橋を結ぶ南北往来の街道で、1602年(慶長7年)頃に沿岸部を結ぶ街道として整備されました。紀州徳川家がこの街道を参勤交代に使用するようになると街道の整備がさらに進み、街道沿いには多くの商家や町屋が建ち並ぶようになりました。
外泊の石垣の里(愛媛県愛南町)
外泊集落の歴史は幕末にさかのぼり、隣接する中泊地区の人口増加に伴い、この地に新しい集落が開拓され「外泊」と名付けられました。急斜面の山腹には約50軒の民家が肩を寄せ合うように建ち並び、台風や冬の季節風から家々を守るため、高く積まれた石垣が集落を取り囲んでいます。この独特の景観から、外泊は「石垣の里」として広く知られています。
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