【町並み感動度】 |
町並み保存度
|
国指定重要文化財の濱口家住宅や旧戸田家住宅など登録有形文化財の他にも伝統的な家屋が多く残されています。 | |
町並みの規模
|
広川町の伝統的な町並み自体はそれほど広範囲ではありませんが「広村堤防」「稲むらの火の館」など見どころは多くあります。 | |
観光魅力度
|
伝統的な町並みは素晴らしく「稲むらの火の館(濱口梧陵記念館)」のほかショップ(道の駅)もあり観光を楽しめます。重伝建の「湯浅」の町がすぐ隣であるのも魅力です。 |
広川の町は室町時代に紀伊国の守護にあたった畠山氏が1401年(応永8年)に広城を築いたのがはじまりで、畠山氏は浜を埋め立てて屋敷をつくり海岸沿いに波除けの石垣をつくるなどして整備しました。
その後、畠山氏が没落し、代わって広浦を支配したのは日高郡小松原(御坊市)の城主であった湯川氏で、街路を設けるなど発展の礎を築きました。
このころから海運業が盛んになり漁民は諸国沿岸に出漁し、江戸の発展とともに事業を拡大していきました。
広川の人々は銚子で醤油醸造を営むなど関東で商売をしながらもこの町に居宅を置いていました。このことが広川の伝統的な町並みの形成に大きな影響を与えました。
目次 ・広村堤防 ・アクセス |
広川の町には国指定重要文化財の濱口家住宅や旧戸田家住宅など伝統的な町並みが残り、往時の面影を感じることができます。
またこの地で生まれ育った濱口梧陵は、ヤマサ醤油7代目の実業家であり、1854年(安政元年)の大津波の際に命をかけて村民の命を救ったことで有名です。
津波の教訓を伝える「稲むらの火の館」や「濱口梧陵記念館」などの施設を見学することができます。
東濱口家は江戸において「廣屋」という醤油問屋を営んでいました。初代の濱口吉右衛門は江戸で商いをしながらも故郷の広村への貢献を絶やさず1854年の安政の大津波の後には西濱口家の濱口梧陵とともに「広村堤防」の築造を行うなど復興に尽力しました。東濱口家住宅の一部は「東濱口公園」として無料で解放されており日本庭園などを見学することができます。
江戸時代から「網屋」として製網業を営んだ戸田家の旧邸宅。通りに面して中央に大正後期建築の主屋、北側に網工場、その東に大座敷が建っています。広川町広地区の伝統的な町並みを代表する建造物で、国の登録有形文化財です。
広川町は古来より幾度となく津波に見舞われてきており、特に1707年(宝永4年)、1854年(安政元年)の大津波は、広地区が再起不能と言われたほどの大被害をもたらしました。
「稲むらの火」は安政の大地震による大津波に際しての出来事をもとにした物語です。
その命の火で多くの村人を救った濱口梧陵の功績は、現代に通じる津波防災の象徴として広く語り継がれています。
この「稲むらの火の館」は2007年(平成19年)に濱口梧陵の偉業と精神、教訓を受け継ぐため建てられました。稲むらの火の館は、濱口梧陵記念館と津波防災教育センターからなっており有料で見学ができます。
【開館時間】
午前10時〜午後5時(⼊館時間は午後4時まで)
【休館⽇】
毎週月曜日(祝⽇の場合はその翌平日)
※11月5日世界津波の⽇は開館
年末年始(12月29日〜1月4日)
詳しくは「稲むらの火の館」のサイトでご確認ください。
2021年「稲むらの火の館」前に、物産販売・飲食施設「道あかり」がオープンしました。地元の野菜・果物や加工品などのお土産、また手作り弁当などが販売されており、カフェとレストランが併設されています。
【営業時間】
午前10時〜午後6時
【定休日】
毎週月曜日(祝日及び11月5日の「世界津波の日」が月曜日のときは翌平日)及び12月29日〜翌年1月4日
詳しくは物産販売・飲食施設「道あかり」・広川町のサイトをご覧ください。
【電車でのアクセス】
JRきのくに線「湯浅」下車、徒歩約15分。
【車でのアクセス】
湯浅御坊道路「広川IC」から、北西へ約10分。
下の地図の場所に無料駐車場(稲むら火の館駐車場)があります。
訪問日:2022年9月
最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、広川町についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。