古旅 日本の古い町並み

弘前の町並み(青森県弘前市)


2022年8月29日  古い町並み , 重要伝統的建造物群保存地区 , 青森県

【町並み感動度】
★★★★★
★★★★★60

町並み保存度
★★★★★
★★★★★50
弘前市仲町重要伝統的建造物群保存地区の中で保存されている家屋は4件程度になりますが、通りはサワラ生垣で統一されていてよい雰囲気を楽しめます。
町並みの規模
★★★★★
★★★★★50
連続した町並みはありませんが、通りにはサワラ生垣や黒板塀を維持する努力がなされていて、武家屋敷群の雰囲気を味わえます。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★80
残されている武家屋敷はそれほど多くありませんが、全て内部を無料で見学できます。また弘前城や土手町界隈などこの地区に隣接したエリアにも見どころがたくさんあります。

目次

弘前市仲町重要伝統的建造物群保存地区


弘前の地割は、長方形の弘前城を、四方から取り囲むように配置されました。
今は搦手門(からめてもん)となっている北門ですが、当初は弘前城の大手門(正面)で、その北側に武家町が配置されました。
仲町とよばれるこの武家町には武家屋敷や表門が点在し、サワラ生垣や板塀がつくる江戸時代の敷地割りを伝える貴重なものとなっており、1978年(昭和53年)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
以来、伝統的建造物の修理、伝統様式に配慮した外観とする修景、電線地中化等の町並み保存事業に取り組まれています。


サワラ生垣


サワラ生垣は緑豊かな仲町を象徴する景観で独特の町並みをつくり出しています。
これはサワラの木が雪に強いため弘前藩によって推奨されたためといわれています。現在も絶え間ない剪定によって美しく保たれています。


サワラ生垣
サワラ生垣

旧岩田家住宅(青森県重宝)


移築された武家屋敷が多い仲町地区ですが、こちらの旧岩田家住宅は当初から同じ敷地に建っています。
この武家屋敷は寛政(1789〜1801年)末期から文化(1804〜1818年)年間に建てられたと推定されています。間取りなどに数回の改造はされているものの、柱などの主要構造部や屋根葺材料などはほぼ建築当初のまま残されており、江戸時代後期の武士の生活を知る貴重な遺構となっています。


旧岩田家住宅(青森県重宝)

旧岩田家住宅(青森県重宝)
屋根は茅葺になっています。

旧岩田家住宅(青森県重宝)
内部を無料で見学ができます。

旧笹森家住宅


この建物は建築当初、仲町の北東部の小人町にあった建物ですが、寄贈された後、2012年(平成24年)に現在地に移築されました。
江戸時代中期の建築で、仲町地区に現存する武家屋敷の中でも最古のものです。
座敷、常居等主要な部分の間取りが建築当初から変わらず、部材も当時のものが多く残っています。
小規模ではありますが、玄関から広間を通り床の間・縁側を設けた座敷に至るという間取りは接客を重んじるつくりになっており、中下級武士の建築様式を伝える貴重な遺構となっています。


旧笹森家住宅
どの武家屋敷もサワラ生垣と黒板塀が美しいです。

旧笹森家住宅
こちらは茅葺ではなく銅板葺の屋根になっています。なんとなく茅葺のほうが古いというイメージがありましたが、そうではないようです。この建物が仲町に現存する武家屋敷の中で最古のものになります。

旧笹森家住宅
内部を無料で見学ができます。仲町の武家屋敷に共通して囲炉裏がたくさん設けられています。

旧伊東家住宅


江戸時代に代々藩医を務めた伊東家の居宅で、もともとは弘前市元長町にありましたが、1978年(昭和53年)に寄贈され現在の場所に移築されました。
19世紀前期の建築と推定されています。
藩医の住宅であるため、仲町の中下級武士の住宅より格式の高い造りがなされています。


旧伊東家住宅

旧伊東家住宅

旧伊東家住宅
内部を無料で見学ができます。藩医であったこともあり他の中下級武士の住宅より造りがよいのが見て取れます。

旧梅田家住宅


1852年(嘉永5年)頃に建てられた茅葺屋根の武家屋敷で、当初は弘前市在府町にありましたが、1982年(昭和57年)に寄贈され現在の場所に移築されました。
天井を張らない簡素な作りや閉鎖的なネマやダイドコロなど、特徴的な中下級の武家屋敷の様式となっています。


旧梅田家住宅

旧梅田家住宅
内部を無料で見学ができます。

石場家住宅(商家)


仲町にほど近い弘前城のすぐ北側の通りにある石場家は代々清兵衛を名乗って藩内のわら工品や荒物を扱っていた商家でした。
建物の建築年代は明らかではありませんが、江戸時代中期の建築と推定されています。


石場家住宅

弘前駅・土手町界隈


商業施設が並ぶ弘前駅周辺から土手町のエリアには明治から昭和初期に建てられたレトロな建物が多く残されています。


旧第五十九銀行本店本館(国指定重要文化財)
旧第五十九銀行本店本館(国指定重要文化財)
旧第五十九銀行の本店として1904年(明治37年)に建てられました。完全な洋風に見えますが、実は土蔵と同じように壁は漆喰で、窓にも漆喰壁の引き戸を入れた和洋折衷の建築になっています。

三上ビル
三上ビル
初期の鉄筋コンクリートの建物で、1927年(昭和2年)に建築されました。

開雲堂
開雲堂
銅板の外壁が看板建築の特徴を残す1929年(昭和4年)の建築です。「看板建築」とは、木造2〜3階建の店舗兼住宅の建物で、その正面だけを銅板やモルタルやタイルなどで装飾し洋風の外観を持った町家のことで、特に関東大震災後(1923年)の復興期に数多く建設されました。

一戸時計店
一戸時計店
1899年(明治32年)の建築です。一際目を引く屋根の時計台も開業当時からのものだそうです。時計店が営業されてなくなった現在も土手町のシンボルとなっています。

日本聖公会 弘前昇天教会
日本聖公会 弘前昇天教会
日本聖公会弘前昇天教会の教会堂として1920年に建設されたものです。三角塔の造形が美しく目を引くます。鐘はトレフォイルという三葉形のアーチに収められています。1993年に県重宝に指定されました。

弘前れんが倉庫美術館
弘前れんが倉庫美術館
このれんが倉庫は、酒造工場として約100年前に建てられ、日本で初めて大々的にシードルを製造していました。現在は美術館として利用されています。

最勝院五重塔(国指定重要文化財)
最勝院五重塔(国指定重要文化財)
この五重塔は初代弘前藩主・津軽為信の津軽統一の過程で戦死した人々の供養のために、建立されたといわれています。長年、1656年(明暦2年)に着工し中断を経て1667年(寛文7年)に完成したものと伝えられてきましたが、平成3年の全面解体修理の際に初重の内法貫から「寛文4年8月」(1664年)の刻印が発見され、塔の組立はこのころから開始されたものと推定されています。

弘前城と弘前市仲町へのアクセス


仲町は弘前城のすぐ北側にありますので、弘前城と合わせて観光されると便利です。
下記のアクセス方法は弘前城までのアクセスになっています。

【電車でのアクセス】
弘前駅より徒歩約30分。タクシーで約10分。
【車でのアクセス】
東北自動車道・大鰐ICから国道7号線を約25分。
市立観光館駐車場(有料)が便利です。(下記地図の場所)
普通車 30分ごとに100円(最初の1時間は無料)
24時間最大料金 1000円(24時間営業)

訪問日:2022年7月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、弘前についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。




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