【町並み感動度】 |
町並み保存度
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保存度は高くありませんが、広範囲に古い建造物が点在していて街歩きが楽しめます。 | |
町並みの規模
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三筋町を中心に寺町など大変広範囲に町並みが広がっています。 | |
観光魅力度
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伊賀上野城だけでも十分に魅力的ですが、広範囲にわたって城下町の町並みを楽しめます。 |
1611年(慶長16年)に伊賀上野城が築城されるとともに藤堂高虎によって町普請が行われ伊賀上野藩の城下町として栄えました。
五目地割法によって町並みは碁盤状に区画され、侍屋敷や三筋町(本町、二の町、三の町)が作られました。
商家は京風の造りが基本で塗込め格子の窓を持つ平屋建て(厨子二階)造りに、外観には格子戸が施されています。
目次 ・アクセス |
五目地割法によって町並みは碁盤状に区画され、侍屋敷や三筋町(本町、二の町、三の町)が作られました。
商家は京風の造りが基本で塗込め格子の窓を持つ平屋建て(厨子二階)造りに、外観には格子戸が施されています。
長屋門とは、家臣を住まわせることができるよう門の両脇を長屋にした建物で、この長屋門は1841年(天保12年)に建てられたと推測されています。
成瀬平馬家は藤堂藩に仕える藩士で、伊賀付加判奉行を勤めた家柄でした。
古くは上野平楽寺の伽藍神で、農耕神祇(のうこうじんぎ)に発祥する神々を祀る神社でしたが、藤堂高虎による城下町建設の際この地に奉還され城郭鎮守として祀られました。
楼門と鐘楼は三重県指定有形文化財に指定されています。
寺町は7つの大きな寺院が立ち並ぶ白壁の美しい通りです。
1611年(慶長16年)に、藤堂高虎によって町普請が行われた際に、寺院町を作って城下町の守りに備えたのが起こりと言われています。
伊賀上野城は1611年(慶長16年)に徳川家康の命を受けた藤堂高虎によって築城され現在も当時の内堀と高石垣を含む石垣は現在も残されています。
上野城は白い三層の美しい城郭を鳳凰が翼を休める姿に見立て「白鳳城(はくほうじょう)」とも呼ばれています。
【電車でのアクセス】
伊賀鉄道伊賀線 上野市駅から徒歩約5分
【車でのアクセス】
名阪国道・上野ICもしくは中瀬ICから約10分
下の地図の場所に有料駐車場があります。
上野公園第1・第2・第3駐車場(普通車1回600円)
営業時間:8:00〜17:00
訪問日:2021年10月
最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、伊賀上野の町並みについての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。