古旅 日本の古い町並み

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中津川宿(岐阜県中津川市)


2026年4月7日
古い町並み , 岐阜県

【町並み感動度】
★★★★★
★★★★★57

町並み保存度
★★★★★
★★★★★60
桝形の周辺にまとまって残された古い町並みの景観は素晴らしいものがあります。
町並みの規模
★★★★★
★★★★★50
宿全体に古い建築や歴史的な史跡が点在していますが、まとまった古い町並みは桝形の周辺に見られます。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★60
うだつのある家々など桝形の周辺の景観が素晴らしく、その他にも街道を歩くと様々な発見があり町歩きを楽しめます。

中津川宿は、江戸日本橋から数えて45番目、中山道では木曽谷の入口にあたる主要な宿場町として栄えました。幕府の役人や諸大名、文人墨客も多く宿泊し、宿場の文化やにぎわいを育んだといわれています。

中山道は「姫街道」とも呼ばれ、楽宮・寿明宮・和宮といった皇族の姫宮もこの宿に宿泊しました。宿場には、本陣や脇本陣をはじめ、問屋や旅籠、商家が立ち並び、本町には火災に備えた用水路が街道の中央を流れていました。
当時の記録には、穀物、塩、味噌、酒、呉服、紙など多くの商品が並び、三と八の日には周辺の村々から市が立つほどのにぎわいだったと記されています。その活気ある様子は、島崎藤村 の歴史小説『夜明け前』にも描かれています。

現在も町並みには宿場の面影が残り、往時のにぎわいを想像しながら散策を楽しめます。


目次

中山道を代表する木曽谷入口の宿場町、中津川宿


卯建のある家々


中津川宿(岐阜県中津川市)
卯建(うだつ)は、隣家からの延焼を防ぐために設けられた防火壁で、家と家の境に高い壁を立て、その上に小さな屋根を載せた造りで、裕福な家の象徴でもあました。中津川では、本町・横町・下町通りの数軒にしか残っておらず、宿場町の面影を今に伝える貴重な建物です。

桝形


中津川宿(岐阜県中津川市)
枡形は、敵の攻撃に備えるために人為的に造られた防御の仕組みです。本陣や脇本陣のある宿場の中心部を一直線に見通せないよう、道を折れ曲がらせて造られていました。

中津川宿(岐阜県中津川市)
中津川宿は、江戸日本橋から数えて45番目の宿場で、中山道を代表する木曽谷入口の宿場町として栄えました。町の長さは寛文3年(1663年)以降、幕末まで約10町7間(およそ1.1km)、道幅は3〜4間ほどでした。

庄屋屋敷 曽我邸(旧肥田家)


中津川村庄屋跡
江戸時代の中津川村の庄屋屋敷で、屋敷や庭園がほぼ当時の姿のまま残されています。明治26年には「日本近代登山の父」とも呼ばれる Walter Weston が宿泊し、ここから恵那山登山へ出発したことでも知られています。

木曽谷入口の宿場町として栄えた中津川宿


中津川宿(岐阜県中津川市)
中津川宿は、尾張藩の重臣で木曽代官や福島関所を管轄した山村甚兵衛家の知行所でもあり、中津川代官所が置かれるなど、交通と行政の両面で重要な役割を担っていました。

中津川宿(岐阜県中津川市)
古くから六斎市が開かれ、周辺地域との交易でにぎわった商業の町でもありました。いったん途絶えた後、享保14年(1729年)に六斎市が復活し、さらに三日市も許可されるなど、宿場の活気を今に伝えています。

アクセス


【電車でのアクセス】
JR中津川駅から徒歩約10分。

【車でのアクセス】
下の地図の場所の本町広場駐車場(無料)を利用できます。





訪問日:2026年4月 2025年6月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、中津川宿の町並みについての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。


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