【町並み感動度】 |
町並み保存度
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古い町並みが連続するような場所は少なくなってきていますが、あちらこちらに古い町屋が残っています。特に紺屋町の奥野家(箱本館)や洞泉寺町は見応えがあります。 | |
町並みの規模
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郡山城の東側を中心に城下町の区割りが残された地域が広範囲に広がっています。 | |
観光魅力度
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郡山城から近く、雰囲気のよい町並みで古い商店街や和菓子店カフェなども多く散策を楽しめます。 |
大和郡山は奈良県では数少ない城下町で、1580年(天正8年)、筒井順慶のよって、「郡山城」が築城されたことにはじまります。江戸時代に入ると「郡山藩」として大和国の政治・経済・文化の中心地として繁栄しました。
現在の「大和郡山市」の名称は1954年(昭和29年)に市制が施行されたとき福島県に「郡山市」との混同を避けるために制定されました。
現在も城下町には「箱本十三町」を中心に、藍染め職人の町であった「紺屋町」、遊郭の名残を残す「洞泉寺町」などに古い町屋が残り当時の面影をみることができます。
近年は金魚の泳ぐ城下町としても有名で、町のあちらこちらで金魚をみることができます。
目次 ・紺屋町 ・堺町 ・塩町 ・本町 ・洞泉寺町 ・洞泉寺町 ・郡山城 ・アクセス |
箱本とは、豊臣秀長の時代に外堀の内側にある13の町で始まった自治組織のことで江戸時代中期には27町に拡大しました。
それぞれの町が一カ月ごとに交代で「箱本」となり、治安維持や消火、伝馬などの重要な役割を担いました。
各町が平等に町政に参加する住民自治の先駆けとなる制度でもありました。
洞泉寺町は郡山の城下町の南東にあり、町名は町内にある洞泉寺に由来します。
当初、洞泉寺町は箱本十三町に含まれていませんでしたが、江戸中期に27町に拡大された際に内町に編入されました。
元和初年(1615年)ごろに水野勝成がこの地に傾城町(けいせいまち)を移したのが遊郭「洞泉寺」の始まりで幕末には6件の遊郭が軒を並べていたようです。
明治から公認遊郭のひとつとして昭和初期にかけて栄え、戦後も特殊料理店という形で経営が続けられていましたが、1958年(昭和33年)の売春防止法の施行とともに廃業しました。
町並みの中心にある箱本館「紺屋」へのアクセスは以下のようになります。
詳しくは箱本館「紺屋」のウェブサイトをご覧ください。
【電車でのアクセス】
近鉄郡山駅下車徒歩5分
JR郡山駅下車徒歩10分
【車でのアクセス】
箱本館のとなりに無料駐車場5台(箱本館「紺屋」駐車場)がありますが、道が狭く(道の中央に水路もあります)一方通行も多いので注意が必要です。
訪問日:2022年8月
最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、大和郡山や郡山城についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。