古い町並み
佐々並の町並み(山口県萩市)
佐々並市(ささなみいち)は、萩市南部に位置する旧旭村の南端にある農村集落です。かつて萩城下町と三田尻(防府市)を結ぶ最短で結ぶ「萩往還」の中間点にあたり、参勤交代の際には藩主が休息する御茶屋を中心に、宿駅としての機能を持ち栄えました。
黒石市中町の町並み(青森県黒石市)
黒石は、黒石藩祖の津軽信英公が津軽藩から分知されて以来城下町として栄えてきました。また、中町は青森への街道の要衝でもあったため、造り酒屋や呉服屋などが軒を並べ大変繁栄しました。江戸時代初期に考案された木造のアーケード「こみせ」がまとまった形で残されているのは全国でも中町のみと言われています。
花沢の里(静岡県焼津市)
花沢は焼津市北部の山間に位置する約30戸の集落で、集落内を花沢川と並行して伸びる街道は旧東海道の一つとされています。集落には江戸時代からの主屋や明治後半に盛んになったお茶や蜜柑栽培に関連した附属屋が多く残されています。花沢の集落と家々は増改築をしながらも、江戸時代からの形を現在までほぼ保ち続けており、2014年(平成26年)には国の重要伝統的建造物群に選定されました。
加悦の町並み(京都府与謝野町)
古くから丹後ちりめんの町として知られる加悦の町は通称「ちりめん街道」と呼ばれ、約830mの街道沿いに、江戸時代後期から昭和初期に建築された「ちりめん商家」が軒を連ねています。
引田の町並み(香川県東かがわ市)
古くから天然の良港「風待ちの港の町」として開かれていたこの地に引田城が築かれてから商業が発展しはじめ、安土桃山時代に始まった醤油醸造によって港町は繁栄しました。現在も引田の町には江戸時代から明治時代にかけての古い町並みが多く残っており近代以前の漁師町の風情をとどめています。
矢掛宿の町並み(岡山県矢掛町)
古くから山陽道の要地であった矢掛は、1635年(寛永12年)、参勤交代制度が始まると矢掛は山陽道(西国街道)の宿場町に定められ、本陣・脇本陣・問屋が整えられました。現在も矢掛町の街道沿いには江戸時代後期までに形成された地割に、妻入と平入の町家が混在した変化ある町並みがよく残されています。
島原武家屋敷街の町並み(長崎県島原市)
島原の武家屋敷街は松倉重政が島原城を築城した際にに、下級武士をまとめて住まわせたのが始まりで幕末までに計7つの町筋が築かれました。下の丁の街路に沿って続く湧水の水路や石垣の塀、幕末から明治初頭に建築された3棟の武家屋敷等が現存しています。
萩市浜崎の町並み(山口県萩市)
萩市の浜崎地区は、江戸時代に廻船問屋や船宿、海産物の卸・加工業で栄え、大正から昭和初期にはイリコの加工や夏みかんの積み出し港としても重要な役割を果たしました。現在も江戸時代の街路や地割がよく残っており、町筋には江戸から昭和前期にかけての100棟以上の町家や土蔵が建ち並んでいます。
寺町寺院群とにし茶屋街(石川県金沢市)
旧北国街道が南北に通る地域の南側に広がる寺町台地には、慶長期から延宝期にかけて建てられた寺院群があります。また寺町台のすぐ近くには「にし茶屋街」があります。「ひがし茶屋街」などと比較すると規模は小さいものの風情ある素晴らしい町並みが残されています。
山町筋の町並み(富山県高岡市)
1609年(慶長14年)、前田利長が高岡城を築き城下町を整備しました。町の中心である山町を含め多くの家屋は1900年(明治33年)に起きた大火によって被災しましたが、その後の火災に強い土蔵造りで再建されました。現在も山町筋には土蔵造りや真壁造りの家屋が多く残っています。
金沢の町並み(石川県金沢市)
1583年(天正11年)の前田利家の入城以降、大規模な城づくりが行われ、江戸時代になると大名中最大の百万石の城下町として栄えました。前田家の歴代藩主が工芸振興に力を入れたため、九谷焼などの伝統工芸や、能楽などの伝統芸能が発展し、現在においても受け継がれています。
井波の町並み(富山県南砺市)
「井波彫刻」で知られる彫刻の町である井波町は600年以上にわたって瑞泉寺の門前町として栄えてきました。井波彫刻の歴史は瑞泉寺の歴史でもあり、1390年(明徳元年)に建立された瑞泉寺は焼失の度に井波の宮大工により再建されてきました。現在でも井波の町には約250人もの彫刻師がいて、八日町通りには彫刻工房が軒を連ね情緒ある風景を作り出しています。
荻ノ島かやぶきの里(新潟県柏崎市)
荻ノ島かやぶきの里は、集落の中央に広がる水田地帯「マエダ」を囲むように、民家や道、水路が一体となって配置されています。このように円を描くように並ぶ茅葺き屋根の家々は「荻ノ島環状集落」として知られています。
木曾平沢の町並み(長野県塩尻市)
木曾平沢は江戸幕府により中山道のルートとして整備され奈良井宿の枝郷という位置付けになり、高地の寒冷気候が漆工に適していることもあって漆工町として発展しました。奈良井川に沿って本通り(中山道)と金西町を中心に江戸時代末期から昭和時代初期の漆工町の特徴を伝える伝統的な建築が多く現存しています。
平福の町並み(兵庫県佐用町)
平福は因幡街道の交通の要所として町並みが形成され、因幡街道最大の宿場町として栄えました。街道に沿って南北に1.2キロほど続く町並みは、現在も当時の姿を残しています。佐用川の石垣に並ぶ白壁の川屋敷、川座敷、土蔵群は平福ならではの景観です。
松ヶ崎の町並み(新潟県佐渡市)
松ヶ崎は、奈良時代から続く佐渡でも歴史の古い湊町で、古代には北陸道の「松ヶ崎駅」が置かれ、佐渡の表玄関として栄えました。江戸時代には海運や北海道交易で富を築いた人々が多く、明治初期ごろまで番所が置かれ、海上交通の要所として大いに賑わいました。現在のおいても当時の宿場町を思わせる家並みを見ることができます。
名張の町並み(三重県名張市)
1636年(寛永13年)、初代藤堂高吉が伊予の国今治から名張に入り屋敷を構えて本格的に街づくりをはじめました。また、初瀬(はせ)街道と呼ばれる伊勢へのおかげ参りの宿場町として大変賑わいました。
須坂の町並み(長野県須坂市)
古くから谷街道・大笹街道・山田道が交わる交通の要衝であった須坂は、江戸時代には須坂藩堀氏の陣屋が置かれ陣屋町として発展しました。明治時代になると、裏川用水を利用した製糸業が製糸業が盛んにおこなわれるようになり須坂は商業都市としてさらに繁栄しました。
上賀茂社家町の町並み(京都市北区)
京都の上賀茂神社の南東の上賀茂本通には、明神川に沿って、石垣と土塀に囲まれた旧家、明神川に架かる小橋、瓦葺きの門などの町並みが続く「社家町」が残されています。社家の町並みは、1988年(昭和63年)には重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
勝山の町並み(岡山県真庭市)
1764年(明和元年)に勝山を治めることになった三浦明次は城を整備して「勝山城」と名付け城下町を整え、美作勝山藩2万3千石の城下町として発展させました。現在においても街道沿いには白壁に格子窓、なまこ壁の収蔵庫、旭川には高瀬舟の発着場跡など、当時の雰囲気を残す町並が残り、岡山県指定町並保存地区となっています。
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