【町並み感動度】 |
町並み保存度
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重伝建の指定区域はごく限られた範囲ではありますが、貴重な店蔵が見事に残されています。 | |
町並みの規模
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保存地区の範囲は比較的小さいですが間口の狭い店蔵が密集しており見ごたえがあります。 | |
観光魅力度
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各店蔵の前に建築年代や当時の屋号などが掲示されていたり、詳しい説明版が設置されていたり、見学を楽しみやすい工夫がされています。 トイレ完備の無料駐車場が複数ありとても親切です。 |
江戸時代、村田の町は江戸と仙台を結ぶ「奥州街道」と仙台から笹谷峠を超えて山形に至る「笹谷街道(ささやかいどう)」と「羽前街道(うぜんかいどう)」を結ぶ宿場町として賑わいました。
江戸時代の村田商人にとって紅花や藍は代表的な商品で、仙台藩内の各産地で栽培された紅花や藍を買い集め、上方や江戸の商人と盛んに取引をしていました。
上方には主に山形を経由して北前船で運び、帰りの船に様々な物資が積み込まれ村田にもたらされており、建築様式も上方の影響を受けています。
明治時代になると、紅花に代わって繭や生糸の集散地となった他、味噌や醤油の製造、販売など新しい産業も生まれ、大正、昭和を通して町は大変繁栄しました。
現在においても、村田町村田伝統的建造物群保存地区に指定されている本町(もとまち)、荒町(あらまち)などに、江戸から明治・大正の建築がそのまま保存されており、往時の面影を偲ぶことができます。
目次 ・アクセス |
江戸時代より大沼家は全国各地で積極的に商業活動を展開してきました。
18世紀末ごろからは仙台藩内で栽培された紅花の集荷を開始し、京都や江戸の商人と取引をしていました。
日本一の紅花商人として知られる山形の豪商・長谷川家とも連携した出荷も行っており、紅花の代金で上方から仕入れた様々な物資を販売したほか、貸付や質屋も兼業していました。
明治になると紅花の需要は衰退しましたが、生糸取引に転向し、地主経営も拡大しました。
大正期から昭和初期にかけては、味噌醤油の醸造・販売を行い商品は大変人気があったようです。
6代目が没した後は醸造を停止し、1942年(昭和17年)に廃業しました。
大沼家はこうして商売で得た利益を社会慈善事業に還元しており「温情地主」と呼ばれていたようです。
現在、建物は7代目の大沼正七氏によって寄贈され「村田証人やましょう記念館」として無料で公開されています。
残念ながらこの時は2021年(令和3年)2月13日に発生した福島県沖地震のため休館中となっていました。
訪問の際は村田町の観光案内サイトなどをご確認ください。
【電車でのアクセス】
●仙台駅から高速バス利用(約45分)
仙台駅西口さくら野百貨店前33番乗り場
ミヤコー高速バス「村田・蔵王」行きで村田町役場前下車。
詳しくは蔵の観光案内所ウェブサイトをご覧ください。
【車でのアクセス】
東北自動車道、村田ICから約5分。
下の地図の場所に無料駐車場(蔵の町並み駐車場)があります。
訪問日:2022年9月
最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、村田の蔵の町並み(宮城県村田市)についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。