【町並み感動度】 |
町並み保存度
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古い町並みが連続する場所はそれほど長くありませんが、佐用川の石垣に並ぶ町並みは素晴らしく保存の取り組みがされています。 | |
町並みの規模
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古い町並みが連続する場所はそれほど長くありませんが、街道に沿って古い建造物が点在しています。 | |
観光魅力度
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美しい佐用側に沿った街道の町並みは素晴らしく産直野菜の販売で賑わう道の駅やカフェ、そば店などもあり観光を楽しめる場所です。 |
平福は1600年から5年かけて築城された利神城(りかんじょう)の城下町でしたが、その役割をわずか30年で終えました。
その後、江戸時代に参勤交代が始まると、鳥取池田藩の本陣が設けられ因幡街道の交通の要所として町並みが形成され、因幡街道最大の宿場町として栄えました。
明治の資料には72業種180件の商家があったと記されています。
街道に沿って南北に1.2キロほど続く町並みは、現在も当時の姿を残しています。佐用川の石垣に並ぶ白壁の川屋敷、川座敷、土蔵群は平福ならではの景観です。
目次 ・アクセス |
当時存在した町家の屋号を再現した看板を掲げる取り組みが行われています。
武蔵13歳の時、「何人たちとも望みしだい手合せいたすべし。われこそ日下無双兵法者なり」という、新当流の達人・有馬喜兵衛の高札を見て、ここ金倉橋のたもとで初勝負をいどみ、一刀のもとに倒したといわれる。
・・・と書かれています。
この陣屋門は、代官陣屋の表門として、1863年(文久3年)に建てられたと考えられ、棟の端には1864年(元治元年)製の鬼瓦が残されています。
【電車でのアクセス】
智頭急行 平福駅下車すぐ
【車でのアクセス】
「道の駅 宿場町ひらふく」まで中国道佐用ICから国道373号経由5分程度です。
訪問日:2021年11月
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