【町並み感動度】 |
町並み保存度
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武家屋敷が残されているのは3棟になりますが、下の丁の約406ートルの街路沿って続く石垣が見事に保存されています。 | |
町並みの規模
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約四百メートルに渡って続く下の丁の街路は一見の価値があります。ただその他の町筋は所々その名残を残す程度になっています。 | |
観光魅力度
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3棟の武家屋敷は全て無料公開されており、すぐ近くの島原城と合わせてゆっくり観光が楽しめます。 |
島原の武家屋敷街は松倉重政が島原城を築城した際に(1618年-1624年)に、下の丁・中の丁・古丁を築き下級武士をまとめて住まわせたのが始まりで、その後、松平忠房が入封した17世紀後半に上新丁・下新丁・新建、幕末に江戸丁と計7つの町筋が築かれました。
この武家屋敷街には鉄砲組が住んでいたことと、屋敷と屋敷の間には塀がなく隣家の奥までまる見えで、まるで鉄砲の筒の中を覗いたようであることから「鉄砲町」と呼ばれていました。
街路の中央に湧水の水路があるのが特徴で、現在も下の丁の約406メートルの街路に見ることができます。この水路を流れる清水は約2km北にある杉谷の水の権現・温泉熊野神社から引いており、飲用水にも使用されていました。
下の丁の街路に沿って続く石垣の塀や、幕末から明治初頭に建築された3棟の武家屋敷等が現存しており、1977年(昭和52年)には島原市の町並み保存地区(武家屋敷街並み保存地区)に指定されています。
目次 ・山本邸 ・篠塚邸 ・鳥田邸 ・アクセス |
【電車でのアクセス】
島原鉄道島原鉄道線・島原駅から徒歩約12分
【車でのアクセス】
下の地図の場所に無料駐車場(武家屋敷観光客専用駐車場)があります。トイレも完備されています。
訪問日:2022年10月
最後まで見ていただきありがとうございます。
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