古旅 日本の古い町並み

島原武家屋敷街の町並み(長崎県島原市)


2023年3月16日  古い町並み , 長崎県

【町並み感動度】
★★★★★
★★★★★68

町並み保存度
★★★★★
★★★★★85
武家屋敷が残されているのは3棟になりますが、下の丁の約406ートルの街路沿って続く石垣が見事に保存されています。
町並みの規模
★★★★★
★★★★★60
約四百メートルに渡って続く下の丁の街路は一見の価値があります。ただその他の町筋は所々その名残を残す程度になっています。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★60
3棟の武家屋敷は全て無料公開されており、すぐ近くの島原城と合わせてゆっくり観光が楽しめます。

島原の武家屋敷街は松倉重政が島原城を築城した際に(1618年-1624年)に、下の丁・中の丁・古丁を築き下級武士をまとめて住まわせたのが始まりで、その後、松平忠房が入封した17世紀後半に上新丁・下新丁・新建、幕末に江戸丁と計7つの町筋が築かれました。

この武家屋敷街には鉄砲組が住んでいたことと、屋敷と屋敷の間には塀がなく隣家の奥までまる見えで、まるで鉄砲の筒の中を覗いたようであることから「鉄砲町」と呼ばれていました。
街路の中央に湧水の水路があるのが特徴で、現在も下の丁の約406メートルの街路に見ることができます。この水路を流れる清水は約2km北にある杉谷の水の権現・温泉熊野神社から引いており、飲用水にも使用されていました。
下の丁の街路に沿って続く石垣の塀や、幕末から明治初頭に建築された3棟の武家屋敷等が現存しており、1977年(昭和52年)には島原市の町並み保存地区(武家屋敷街並み保存地区)に指定されています。


島原武家屋敷街の町並み(長崎県島原市)

目次

島原武家屋敷街(下の丁)


下の丁の街路


島原武家屋敷街
約400mの街路に連なる石垣と水路は見事です。この水路を流れる水は約2km北にある杉谷の水の権現・温泉熊野神社から引いており、飲用水にも使用されていました。

山本邸


山本邸 島原武家屋敷街
1868年(明治元年)の建築
山本家の初代は島原藩の初代藩主・松平忠房の先代である三河の吉田城主・松平忠利のころから家臣となり、1774年(安永3年)に6代松平忠恕の島原への所管に随行し、以降幕末まで前後13代の城主に仕えました。代々重職を務めた家で、門構えは最後の城主忠和公から特別に許されたものです。

山本邸 島原武家屋敷街
武家屋敷の内部は無料で公開されています。

篠塚邸


篠塚邸 島原武家屋敷街
篠塚家の祖先は三河で三河国吉田藩の第2代藩主であった松平忠房(初代島原藩主)に仕えましたが、忠房が丹波国福知山藩主を経て肥前国島原藩に移されるのに伴って随行しました。その後、篠塚家は明治初期まで11代に渡り郡方祐筆(書記)や代官などを勤めました。屋敷の坪数は90坪あります。

篠塚邸 島原武家屋敷街
篠塚邸の内部も無料公開されています。

鳥田邸


鳥田邸 島原武家屋敷街
鳥田家は古くから藩主松平氏の家臣となり、藩主の転封に伴って三河国吉田、丹波国福知山と随行し、1669年(寛文9年)に島原に入りました。その後は代々、材木奉行・宗門方加役・船津往来番などの重職を勤めました。屋敷の敷地は90坪あります。

鳥田邸 島原武家屋敷街
鳥田邸の内部も無料公開されています。

鳥田邸 島原武家屋敷街

アクセス


【電車でのアクセス】
島原鉄道島原鉄道線・島原駅から徒歩約12分
【車でのアクセス】
下の地図の場所に無料駐車場(武家屋敷観光客専用駐車場)があります。トイレも完備されています。



訪問日:2022年10月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、島原武家屋敷街についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。




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