【町並み感動度】 |
町並み保存度
|
改装されている家屋もありますが、自然な形で古い町並みが保存されています。 | |
町並みの規模
|
町並みの規模はそれほど大きくありませんが、寺社や旧加悦駅などを含めて街歩きを楽しめます。 | |
観光魅力度
|
飲食店などはほとんどない静かな町並みを散策できます。各家屋に説明が掲げられていて読みながら見学を楽しめます。 |
【与謝野町加悦伝統的建造物群保存地区】
加悦町(かやちょう)は、2006年に与謝郡岩滝町、野田川町と合併し、現在は与謝郡与謝野町となっています。
古くから丹後ちりめんの町として知られる加悦の町は通称「ちりめん街道」と呼ばれ、約830mの街道沿いに、江戸時代後期から昭和初期に建てられた「ちりめん商家」や銀行などが軒を連ねています。
目次 ・吉祥寺 ・加悦駅 ・アクセス |
1888年(明治21年)建築
住宅八棟が全焼した1887年(明治20年)の下之町大火によって、濱見家の住宅も焼失しました。
現在の住宅は、その翌年の1888年(明治21年)に再建されました。
1933年(昭和8年)建築
昭和8年に再建された二階建ての切妻造、平入りの建物です。改装がされていますが二階の客間は旧来のまま残されているようです。
1888年(明治21年)建築
松村家住宅も1887年(明治20年)の下之町大火によって焼失しました。
翌年1888年に福知山市の民家を解体しこの地に移築されました。
昭和のはじめごろまで離れで旅館を営んでいたようです。
1848年(嘉永元年)建築
杉本家住宅は、中庭をもち、ちりめん街道でも大規模な住宅です。
1929年(昭和4年)建築
ちりめん街道唯一の酒蔵である川嶋酒造の酒蔵です。
当時は蔵の奥にある井戸水で「大山正宗」という銘柄の酒を造っていました。
1889年(明治22年)建築
当初は厨子二階の建物として建てられ、昭和37年に二階建てに改装されました。
主屋の奥にはちりめん工場が二棟あり、昭和初期に建てられた前蔵は今も仕事場として使用されています。
1863年(文久3年)建築
尾藤家は生糸ちりめん問屋で、主屋は江戸末期に丹波の家屋を移築したもので、その後明治から大正にかけ蔵や座敷が増築されました。
境内には金色堂があり、金色蚕糸神は、養蚕・生糸・織物の守護神とされています。
毎年秋には織物業界の繁栄を祈願する金色蚕糸神祭が行われています。
丹後ちりめんの創始者の一人である手米屋小右衛門(てごめやこえもん)の菩提寺。
1920年(大正9年)建築
旧丹後産業銀行の加悦支店として建てられました。
白壁の土蔵は銀行の蔵でした。
1897年(明治30年)建築
加悦地区の特徴的な建築の要素がそろった建物で、主屋は切妻造の平入り、厨子二階の建物で、建物の正面には腰高の格子とエンガキがあります。
1893年(明治26年)建築
杉本家住宅は、虫籠窓がある厨子二階の建物で、この地域で唯一うだつがある建築物です。
丹後ちりめんの創始者の一人である手米屋小右衛門(てごめやこえもん)の直系にあたる家です。
1917年(大正6年)建築
伊藤医院は木造二階建て入母屋造りの洋館です。
玄関まわりには加悦の左官職人、萬吉による鏝絵が施されています。
加悦鉄道は1926年(大正15年)に開業して以来、1985年(昭和60年)に廃線となるまで58年5ヶ月もの間活躍しました。
駅舎には加悦鉄道のまつわる様々なものが展示されており無料で見学できます。
【電車でのアクセス】
京都丹後鉄道宮豊線「与謝野駅」下車 タクシーにて約10分
【車でのアクセス】
京都縦貫自動車道「与謝天橋立IC」より10分
下の地図の場所に無料駐車場(与謝野町観光協会(旧加悦町役場)の隣)があります。
訪問日:2022年5月
最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、加悦の町並みについての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。