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奈良井宿(長野県塩尻市)
奈良井宿(ならいじゅく)は、中山道のちょうど真ん中34番目の宿場です。木曽路十一宿の中では最も標高が高い宿場で、約1kmにわたって町並みを形成する、日本最長の宿場町でもあります。「奈良井千軒」といわれ多くの旅人で栄えた奈良井宿は当時の町並みが現在までほぼ完全に保存されています。
妻籠宿(長野県南木曽町)
妻籠宿(つまごじゅく)は中山道42番目、長野県木曽郡南木曽町にある宿場町です。中山道と伊那街道が交差する交通の要として古くから賑わいました。現在は馬籠峠を挟んで隣接する馬籠宿とともに木曽路を代表する観光名所となっています。
海野宿の町並み(長野県東御市)
海野宿(うんのじゅく)は1625年(寛永2年)に北国街道の宿場町として開設されました。明治時代に入ると養蚕・蚕種業が盛んになり、大正時代にかけて堅牢な蚕室造りの建物が多く建てられました。現在も海野宿には江戸時代の旅籠造りと明治以降の蚕室造りの家並みが良く残されおり、1987年(昭和62年)には重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。
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2022年3月23日
城 ,
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松本城(長野県松本市)
松本城と呼ばれる以前、このあたりに深志城があり、これが現在の城の前身であるといわれています。安土桃山時代末期〜江戸時代初期に建造された5重6階の天守は国宝に指定されており、天守が国宝指定された5城のうちの一つに数えられます。
福島宿(長野県木曽町)
福島宿は中山道37番目の宿場で、関所が設けられ、木曽谷の中心地として古くから栄えました。上の段地区(江戸小路エリア)を中心に古い家並みが残っており福島宿の面影を残しています。福島宿には4大関所の一つといわれた関所があり、入鉄砲出女を厳しく取り締まったことで知られています。
白馬村青鬼の山村集落(長野県白馬村)
青鬼(あおに)地区は白馬村の山深い場所にあり、小さな集落内の民家のほとんどが江戸時代後期から明治時代後期に渡って建てられた伝統的民家です。また集落の奥には大規模な棚田があり、伝統的な集落と棚田が良く残されていることから、2000年(平成12年)には重要伝統的建造物群に選定されました。
木曾平沢の町並み(長野県塩尻市)
木曾平沢は江戸幕府により中山道のルートとして整備され奈良井宿の枝郷という位置付けになり、高地の寒冷気候が漆工に適していることもあって漆工町として発展しました。奈良井川に沿って本通り(中山道)と金西町を中心に江戸時代末期から昭和時代初期の漆工町の特徴を伝える伝統的な建築が多く現存しています。
松本(中町・縄手)の町並み(長野県松本市)
松本市は国宝松本城を中心とする城下町で第二次世界大戦による戦災を免れたため歴史的建造物が多く残っています。蔵のある街「中町」や四柱神社の参道として発達した「縄手」には特に多くの古い建物が残されています。
稲荷山宿の町並み(長野県千曲市)
稲荷山宿は1614年(慶長19年)に北国西街道の宿場町として組み込まれて以来、北国西街道最大の宿場町として栄えました。1847年(弘化4年)の善光寺大地震では大きな被害を受けましたが、復興を遂げた江戸時代末期移行は繭や生糸・絹織物などを扱う北信濃随一の商都として繁栄しました。現在においても稲荷山宿には往時の町の面影が多く残されており、2014年(平成26年)には重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。
戸隠の宿坊群(長野県長野市)
古くから修験道の一大霊場として知られた神仏習合寺院「戸隠山顕光寺」は、江戸時代に入ると各地に「戸隠講」が組織され多くの戸隠講の講員は戸隠へ参詣するようになりました。そのため戸隠には大規模な宿坊群が数多く整備されるようになりました。現在においても戸隠には雄大豪壮な宿坊群などた歴史的な景観が残されており、2017年(平成29年)には重要伝統的建造物群に選定されました。