古旅 日本の古い町並み

戸隠の宿坊群(長野県長野市)


2024年7月31日  古い町並み , 重要伝統的建造物群保存地区 , 長野県

【町並み感動度】
★★★★★
★★★★★47

町並み保存度
★★★★★
★★★★★40
残されている宿坊はそれほど多くない印象ですが、山間の宿坊群という特殊な環境は素晴らしく宿坊の壮大さに驚かされます。
町並みの規模
★★★★★
★★★★★40
保存地区は広い範囲になりますが、まとまった宿坊群が見られるエリアはそれほど大きくありません。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★60
標高1,000メートル以上の高地にある戸隠神社とその周りの宿坊群の雰囲気は特別です。

戸隠連峰や飯縄山が連なる標高1,000メートルを超えるこの地域は、平安中期には修験道の一大霊場として知れられるようになり戸隠神社の前身である神仏習合寺院「戸隠山顕光寺」が成立しました。
鎌倉時代後期には奥院・中院・宝光院が整備され、各院の周辺には衆徒の僧坊が構えられました。

江戸時代に入ると戸隠山顕光寺の衆徒たちの布教活動によって、各地に「戸隠講」が組織されるようになり、戸隠講の講員は戸隠へ参詣するようになりました。
そのため中院と宝光院の参道沿いには、戸隠講を中心とした多くの参詣者を宿泊させるための大規模な宿坊群が整備されていきました。

現在においても戸隠には雄大豪壮な宿坊群や社殿や在家の住宅、石垣等が一体となった歴史的な景観が残されており、2017年(平成29年)には重要伝統的建造物群に選定されました。


目次

戸隠神社


戸隠神社 宝光社
戸隠神社 宝光社
平安時代より天台密教や真言密教と神道とが習合した神仏習合の戸隠山勧修院顕光寺として知られ、多くの修験者や参詣者がこの地を目指しました。江戸時代に入ると徳川家康から千石の神領が寄進され「戸隠山領」が成立しました。また、戸隠山顕光寺に所属した衆徒たちは「御師」として布教活動を積極的に行い、各地に「戸隠講」が組織されるようになりました。戸隠へ参詣するようになった戸隠講の講員などの参拝者を受け入れるための大規模な宿坊群が整備されるようになり、山中は次第に修験道場から門前町へと変貌していきました。明治時代に入ると神仏分離令や修験宗廃止令が発令されるなど廃仏毀釈運動が起きたため、戸隠山顕光寺は寺を分離し戸隠神社となりました。

戸隠神社 宝光社 参道階段
戸隠神社 宝光社 参道階段

戸隠の宿坊群


旧徳善院本堂・庫裏(極意家神殿・宿坊)
旧徳善院本堂・庫裏(極意家神殿・宿坊)
壮大な茅葺屋根が印象的なこの建物は、戸隠神社中社社殿から最も近い位置にある宿坊「極意家」の本堂と庫裏です。1811年(文化8年)に焼失したあとに再建されたものと伝えられています。

戸隠の宿坊群
中院と宝光院の参道沿いには、参詣者を宿泊させるための宿坊群が建てられ、宿坊群の外側には、在家と呼ばれる農民や職人等の屋敷が拡がって門前町が形成されました。

旅館横倉
旅館横倉

武田旅館
武田旅館

藤井旅館
藤井旅館

中谷旅館
中谷旅館

戸隠神社と宿坊
標高1000メートル以上の高地にある戸隠神社とその周りの宿坊群の雰囲気は特別で、一見の価値があります。

アクセス


【電車でのアクセス】
JR長野駅からバスがでています。
長野駅7番乗り場(アルピコ交通バス長野駅前総合案内所前)から「ループ橋経由戸隠高原行き」で約1時間。「戸隠宝光社」で下車。
詳しくは戸隠神社のウェブサイトでご確認ください。
【車でのアクセス】
下の地図の場所に無料駐車場(宝光社駐車場)があります。



訪問日:2023年11月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、戸隠神社や戸隠の宿坊群についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。




コメントを書く
メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です。
コメント *
お名前 *

サイト

メール









ページ上に戻る

ホーム古い町並み都道府県町並み感動度古旅へのご連絡サイトマップ

furutabi.com