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三重県
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関宿(三重県亀山市)
関町は古くから交通の要衝で古代三関のひとつである伊勢鈴鹿の関がおかれていました。江戸時代には東海道47番目の宿場町として参勤交代や伊勢参りの人々で賑わいました。現在も江戸時代から明治にかけて建てられた200軒あまりの町屋が見事に残されています。
おはらい町の町並み(三重県伊勢市)
おはらい町は、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の鳥居前町で、宇治橋から800mに渡る石畳の通りに切妻・妻入り様式で統一された町並みが立ち並んでいます。江戸時代には年間200〜400万人もの参宮者が訪れる庶民の憧れの地でした。
多気宿の町並み(三重県津市)
伊勢本海道は古くから大和と伊勢を結ぶメインルートでありましたが、特に江戸時代になると伊勢講によるお蔭参り(伊勢神宮への集団参詣)が盛んになり毎日多くの団体が行き交い大変賑わいました。現在も宿場町の面影を残す町並みが見事に残されており、大変見ごたえのあるものとなっています。
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2022年5月11日
城 ,
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伊賀上野城(三重県伊賀市)
伊賀上野城は1611年(慶長16年)に徳川家康の命を受けた藤堂高虎によって築城され現在も当時の内堀と高石垣を含む石垣は現在も残されています。上野城は白い三層の美しい城郭を鳳凰が翼を休める姿に見立て「白鳳城(はくほうじょう)」とも呼ばれています。
名張の町並み(三重県名張市)
1636年(寛永13年)、初代藤堂高吉が伊予の国今治から名張に入り屋敷を構えて本格的に街づくりをはじめました。また、初瀬(はせ)街道と呼ばれる伊勢へのおかげ参りの宿場町として大変賑わいました。
二見浦の町並み(三重県伊勢市)
二見浦は古くから伊勢神宮参拝客の旅籠町として発展してきました。現在も現役の旅館街として、JR二見浦駅から二見興玉神社の間に和風旅館や土産物屋が軒を連ねています。
伊賀上野の町並み(三重県伊賀市)
1611年(慶長16年)に伊賀上野城が築城されるとともに藤堂高虎によって町普請が行われ伊賀上野藩の城下町として栄えました。五目地割法によって町並みは碁盤状に区画され、侍屋敷や三筋町(本町、二の町、三の町)が作られました。
一身田・寺内町の町並み(三重県津市)
一身田・寺内町は、戦火に備え、真宗高田派の本山である専修寺を中心に堀で囲んだ防御的な自治集落です。専修寺の周囲には末寺や商家が建ち並び、その外側には堀が巡っています。
河崎の町並み(三重県伊勢市)
河崎は江戸時代より勢田川の水運を生かした問屋街として発展し、伊勢神宮への参宮客でにぎわう「伊勢の台所」として栄えました。現在でも古い町家や蔵などが残されており、山形の形状をした屋根を持つ妻入の町屋が連なります。
阿保宿の町並み(三重県伊賀市)
初瀬街道(はせかいどう)は奈良県桜井市の「初瀬」から阿保や伊勢地を経て難所である青山峠を越え三重県松阪市の「六軒」に至る街道です。道中には「青山越」などの難所もあり、初瀬から伊勢までは歩いて5〜6日かかったようです。そのため道中には旅籠や茶店が多く設けられここ阿保や伊勢地などは宿場町として大変賑わいました。
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2022年4月28日
城 ,
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津城跡と津観音(三重県津市)
1580年に織田信包が津城を創築して以来、津は城下町として発展してきました。江戸時代になると築城の名手・藤堂高虎によって、1611年に近代城郭として大改修され、その後は明治時代まで藤堂氏の居城となりました。現在、城跡は公園として整備されていますが、遺構として本丸の石垣や内堀の一部が残っています。