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石川県
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ひがし茶屋街の町並み(石川県金沢市)
江戸時代になると城下町近郊を流れる犀川(さいがわ)と浅野川の界隈に多くの茶屋が立ち並ぶようになり、1820年(文政3年)は加賀藩の許可を得て、犀川(さいがわ)の西側に「にし」の茶屋町、浅野川東側に「ひがし」の茶屋町が開かれて大変賑わいました。
加賀東谷の4つの集落(石川県加賀市)
加賀市の山間にある4つの集落からなる加賀東谷(ひがしたに)は、近世から昭和前期にかけて炭焼きを主産業としてきた地域です。東谷沿いに炭を運んでいた荒谷、今立、大土、杉水の4つの集落には、現在においても、明治から昭和初期に建てられた桟瓦と煙出をもつ伝統的建造物群が、美しい自然と一体となって独特な歴史的風致を形成しており、2011年(平成23年)には重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
長町武家屋敷跡(石川県金沢市)
長町武家屋敷跡には土塀と石畳が続く小路には加賀藩時代の上流・中流階級の藩士の豪壮な武家屋敷が軒を連ねています。金沢市の繁華街「香林坊」の近くにもかかわらず路地に一歩足を踏み入れると静かで藩政時代の武家町の雰囲気を感じることができます。
主計町茶屋街の町並み(石川県金沢市)
主計町茶屋街は、金沢三大茶屋街の一つに数えられ、東山ひがし(ひがし茶屋街)とともに重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。明治から昭和初期にかけての茶屋様式の町屋が多く残されており、金沢の主要な観光地となっています。かつて旦那衆が人目を避けて通った「暗がり坂」やベンガラ色の千本格子が続く細い路地は情緒たっぷりです。
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2022年7月25日
城 ,
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金沢城(石川県金沢市)
1580年(天正8年)に織田信長が一揆を攻め落とすと、佐久間盛政が築城を始め、3年後の1583年(天正11年)に加賀藩初代藩主の前田利家が入城しました。前田利家は改修工事を行い天守や櫓などを建設しました。以降、金沢城は1869年(明治2年)まで加賀藩前田家14代の居城であり続けました。
加賀橋立の町並み(石川県加賀市)
加賀橋立は、江戸時代後期から明治時代にかけて大阪と北海道を往復した「北前船」の船主や船頭が多く居住した集落で、最盛期には100隻以上の北前船を擁していました。
白峰の町並み(石川県白山市)
白山の麓に位置し日本屈指の豪雪地帯である白峰では稲作の代わりに江戸中期から先進的な養蚕が行われ、白峰の主な生業となっていました。明治中期の紀行文によると、白峰は製糸業が盛んで様々な施設があることが記されており当時の集落が賑やかであったことが分かります。
寺町寺院群とにし茶屋街(石川県金沢市)
旧北国街道が南北に通る地域の南側に広がる寺町台地には、慶長期から延宝期にかけて建てられた寺院群があります。また寺町台のすぐ近くには「にし茶屋街」があります。「ひがし茶屋街」などと比較すると規模は小さいものの風情ある素晴らしい町並みが残されています。
金沢の町並み(石川県金沢市)
1583年(天正11年)の前田利家の入城以降、大規模な城づくりが行われ、江戸時代になると大名中最大の百万石の城下町として栄えました。前田家の歴代藩主が工芸振興に力を入れたため、九谷焼などの伝統工芸や、能楽などの伝統芸能が発展し、現在においても受け継がれています。
山中温泉の町並み(石川県加賀市)
1609年(慶長14年)、前田利長が高岡城を築き城下町を整備しました。町の中心である山町を含め多くの家屋は1900年(明治33年)に起きた大火によって被災しましたが、その後の火災に強い土蔵造りで再建されました。現在も山町筋には土蔵造りや真壁造りの家屋が多く残っています。
卯辰山山麓寺院群(石川県金沢市)
卯辰山(うだつやま)と旧北国街道に挟まれたこの地域には、慶長期から延宝期(1596〜1681年)にかけて寺院群がほぼ形成されたと考えられています。この地域には藩政期からの細い街路や町割が現在も残り、山麓の地形に沿って曲がりくねった小路に沿って寺社が建ち並び、寺社と町家が混然一体となった特徴的な景観を形成しています。
鶴来の町並み(石川県白山市)
「鶴来」は古くから白山本宮四社のひとつである金劔宮の門前町として白山信仰によって発展しました。江戸時代になると白山街道(鶴来街道)の宿がおかれ酒や醤油の醸造業が盛んになり最盛期には14軒の酒蔵があったと言われています現在においても往時の商家や町家が残されており、かつての街道の面影を偲ぶことができます。
大聖寺の町並み(石川県加賀市)
1639年(寛永16年)、加賀藩の第2代藩主であった前田利常が隠居する際、次男の利次に富山10万石を、三男の利治に大聖寺7万石を分封し、大聖寺藩が成立しました。それ以降大聖寺は大聖寺藩の城下町(陣屋町)として発展しました。