【町並み感動度】 |
町並み保存度
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古い建造物が軒を連ねるような場所は多くありませんが、広範囲にわたって点在しています。 | |
町並みの規模
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町並みの中心である山田鍛冶町から山ノ下寺院群まで含めるとかなりの規模になります。 | |
観光魅力度
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城下町の古い町並みに見どころが点在しており、山ノ下寺院群では寺社巡りをすることもでき静かな町をゆっくり観光できます。 |
鎌倉時代に狩野氏によって錦城山(古城山)に大聖寺城が築かれて以来、大聖寺は城下町として発展しました。
江戸時代のはじめには加賀藩が大聖寺城で江沼郡を支配しましたが、大聖寺城は1615年(元和元年)の一国一城令によって廃城となりました。
その後、1639年(寛永16年)、加賀藩の第2代藩主であった前田利常が隠居する際、次男の利次に富山10万石を、三男の利治に大聖寺7万石を分封しました。これによって富山藩と大聖寺藩が成立しました。
大聖寺跡には陣屋がおかれ、この地は大聖寺藩の城下町(陣屋町)として発展しました。
現在も、大聖寺の町並みは碁盤の目に区画された城下町時代の町割りが残っており、その面影を見ることができます。
目次 ・願成寺 ・正覚寺 ・橋姫神社 ・アクセス |
初代の時鐘堂(鐘楼)は大聖寺藩2代藩主の前田利明によって1667年(寛文7年)にが造られました。
1934年(昭和9年)の大聖寺大火によって焼失しましたが、2003年(平成15年)に現在の時鐘堂が再建されました。
深田久弥は明治36年、江戸時代から続く深田屋の5代当主深田弥一の長男としてこの地に生まれました。
蘇梁館は、加賀橋立浦の代表的な北前船主である久保家の六代目が橋立に1841年(天保11年)に建てた屋敷です。加賀市の現在地に移築復元されました。
大聖寺には隣の越前との境界あたりに山ノ下寺院群(やまのしたじいんぐん)と呼ばれる寺院群があり、7寺院、1神社が並んでいます。大聖寺藩が意図的に寺社をここに集めたと言われています。
曹洞宗・熊谷山全昌寺は、大聖寺城主山口玄藩の菩提寺です。
【電車でのアクセス】
JR大聖寺駅からすぐ
【車でのアクセス】
蘇梁館(下の地図の場所)の隣に無料駐車場(大聖寺観光駐車場)があります。
訪問日:2021年10月
最後まで見ていただきありがとうございます。
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