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多度津の町並み(香川県多度津町)


2023年7月10日  古い町並み , 香川県

【町並み感動度】
★★★★★
★★★★★37

町並み保存度
★★★★★
★★★★★40
数は少なくなってきているようですが、江戸期からの建造物も残っており、特に金毘羅街道沿いの本通り1丁目あたりにはよい雰囲気の町並みが残されています。
町並みの規模
★★★★★
★★★★★40
古い町並みがまとまって残る場所は少なくなってきていますが、古い建造物や史跡は広範囲に点在しています。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★30
金毘羅街道沿いは車通りも多くなくゆっくり散策を楽しめます。

室町時代に多度津は細川氏の部下であった香川氏の拠点となると、武家屋敷・町家などが建てられ城下町が形成されました。
京極高通が1694年(元禄7年)に多度津藩初代藩主となると多度津藩の城下町として商工業の港町として栄えました。
1838年(天保9年)、当時の藩主であった京極高琢は、湛甫(たんぽ)と呼ばれた石の防波堤で囲って造られた船溜りを築きました。
これによって当時盛んになっていた北前航路や金比羅参詣船の寄港地としても大変繁栄しました。


目次

多度津(本通り1丁目)の町並み


多度津の町並みfurutabi.com>
金毘羅街道沿いの本通り1丁目あたりにはよい雰囲気の町並みが残されています。

多度津の町並みfurutabi.com>

多度津の町並みfurutabi.com>

旧吉田酒造所
旧吉田酒造所

てつや


てつやfurutabi.com>
代々多度津の商人であった「てつや」は、幕末までは鉄の原料問屋と刀鍛冶を営んでいました。明治から昭和初期までは、舶来用品雑貨の卸小売を行う他、米や灯油を取り扱っていました。また、金比羅宮の世話人を長く勤めていました。

清水温泉


清水温泉furutabi.com>
大正末から営業してきた銭湯で昭和五十年代半ばまで営業していました。レンガ造りの煙突が当時の面影を残しています。

旧塩田家住宅


旧塩田家住宅
旧塩田家住宅
屋号は「岡山屋」といい塩や米を入れる「叭(かます)」を取り扱っていました。「多度津叭商会」の看板が残されています。西側の建物は江戸時代のもので、玄関部分は近代に改築されています。

旧塩田家住宅の刀傷
旧塩田家住宅の刀傷
格子窓の柱には刀傷が残っており、幕末に商家の繁昌に反感をもった武士が切りつけた跡と伝えられています。

「多度津七福神」のひとつ・合田家


合田邸furutabi.com>
江戸時代後期の終わりごろから廻船業で隆盛した多度津町を代表する7つの商家は「多度津七福神」と呼ばれており、合田家はその一つでした。屋号は「島屋」で、大正末から昭和初期に建てられた多度津七福神の財力を物語る邸宅です。施主の合田健吉氏は貴族院議員でもありました。

合田邸・洋風の応接室furutabi.com>
玄関棟に隣接する応接室は洋風になっていて、窓にはステンドグラスが施されています。

「多度津七福神」の一つの家の巨大な蔵


石川金物店furutabi.com>
江戸時代後期の終わりごろから廻船業で隆盛した多度津町を代表する7つの商家は「多度津七福神」と呼ばれており、この建物は「多度津七福神」の一つの家の蔵でした。巨大な蔵には北前船からの物資が運びこまれていました。

アクセス


【電車でのアクセス】
多度津駅から徒歩約12分
【車でのアクセス】
下の地図の場所に無料駐車場(湾岸壁無料駐車場)があります。合田邸まで徒歩約10分





訪問日:2023年1月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、多度津の町並みについての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。


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