古旅 日本の古い町並み

MENU

福光の町並み(富山県南砺市)


2022年4月20日  古い町並み , 富山県

【町並み感動度】
★★★★★
★★★★★33

町並み保存度
★★★★★
★★★★★40
江戸時代や明治時代の建物が多く保存されているわけではありませんが、町全体にレトロな雰囲気が漂います。
町並みの規模
★★★★★
★★★★★30
町並みの規模は大きくはありませんが、城端など他の南砺市の町並みと合わせて楽しめます。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★30
町全体にレトロな雰囲気あり散策を楽しめます。飲食店や土産物店は少ない印象です。

富山県西礪波郡にあった福光町(ふくみつまち)は市町村合併によって2004年(平成16年)に廃止され、福光町を含む7自治体は南砺市になりました。
福光は古くから交通の要衝で、江戸時代、五箇山から城端、福光を経て加賀、京都へと続く、絹と米の道の拠点となりました。この往来によって福光は商人の町、宿場町として繁栄しました。
現在では福光はバット生産地としても知られ、全国のバット生産の60%弱を占めています。


味噌屋町
味噌屋町

目次

福光新町の町並み


1986年(昭和61年)、商店会が中心となって商店街の活性化を目指してあさがおを植えたことから福光新町は「あさがお通り」の愛称で親しまれています。


福光新町
福光新町

福光新町(あさがお通り)
福光新町(あさがお通り)

福光新町(石黒種麴店)
福光新町(石黒種麴店)

味噌屋町の町並み


北陸の障害児教育の先駆者 松村西荘(1849-1890)の生家
北陸の障害児教育の先駆者 松村西荘(1849-1890)の生家

松村西荘は幼い時に病により聴覚を失い歩行も困難になりましたが、高い教養を身につけ、明治13年、金沢に北陸最初の訓盲院を設立しました。


味噌屋町・江戸時代から味噌屋のみそ蔵、醬油蔵が建ち並んでいました。
味噌屋町・江戸時代から味噌屋のみそ蔵、醬油蔵が建ち並んでいました。

福光の大通り


昭和のなつかしい雰囲気が残る福光の大通り
昭和のなつかしい雰囲気が残る福光の大通り

福光の野球バット発祥の地 福光は全国のバット生産の60%弱を占める日本一のバットの町です。
福光の野球バット発祥の地 福光は全国のバット生産の60%弱を占める日本一のバットの町です。

アクセス


【電車でのアクセス】
JR福光駅から徒歩約10分
【車でのアクセス】
福光公園駐車場(無料)(下の地図参照)が便利です。





訪問日:2021年10月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、福光についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。


ページ上に戻る
コメント
ゆきんぐ 2024/02/09 13:44
いいね

返信コメントを書く
メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です。
コメント *
お名前 *

サイト

メール





コメントを書く
メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です。
コメント *
お名前 *

サイト

メール











ページ上に戻る

furutabi.com