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平戸城(長崎県平戸市)


2023年2月21日  , 長崎県

【城感動度】
★★★★★
★★★★★50

城保存度
★★★★★
★★★★★40
多くは廃城令によって解体されましたが、狸櫓と北虎口門(搦手門)が当時のまま残されています。
城の規模
★★★★★
★★★★★50
平戸瀬戸に突き出た丘陵の大部分が城となっていて大変大規模な城であったことがわかります。
城魅力度
★★★★★
★★★★★60
模擬天守や復興の建築物は周りの景色と相まって美しく、平戸の町や海が一望できる景色は一見の価値があります。

第4代藩主・松浦重信のときに幕府に平戸城の再築城を願い出て、1703年(元禄16年)に許可されました。5代藩主の松浦棟によって着工され1707年(宝永4年)にほぼ完成しました。

平戸藩初代藩主となる松浦鎮信は、1599年(慶長4年)、亀岡城(または日之嶽城、後の平戸城)建設を開始ましたが、翌年1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの際に徳川家康からの嫌疑を晴らすため、城の一部を破却した伝えられています。
さらに完成間近となった1613年(慶長18年)に火災により大部分が焼失しました。その後しばらくは平戸藩は城を再建をせず、平戸港の北川に「中の館」と呼ばれる居館を構え、平戸藩の藩庁としていました。
第4代藩主・松浦重信のときに幕府に平戸城の再築城を願い出て、1703年(元禄16年)に許可されました。5代藩主の松浦棟によって着工され1707年(宝永4年)にほぼ完成しました。
1871年(明治4年)、廃藩置県に伴う廃城令によって、現存する狸櫓と北虎口門(搦手門)を残して城の建物は解体されました。

当時の平戸城には天守は天守は上げられず、現在見られる天守は1962年(昭和37年)に建てられた模擬天守になります。このときに模擬天守とともに復興見奏櫓、乾櫓、地蔵坂櫓、懐柔櫓が建てられました。
天守内は松浦党などの資料館となっています。平戸城からは平戸湾と平戸の町が一望でき、一見の価値があります。

【入館料】大人510円、高校生310円、小・中学生200円
【開館時間】8時30分〜17時30分
【駐車場】無料
詳しくは平戸城のウェブページでご確認ください。


目次

平戸城(別名:亀岡城)


北虎口門(搦手門)
北虎口門(搦手門)
平戸城で唯一現存する門で、宝永4年(1707年)5代藩主の松浦棟の時に完成しました。

狸櫓
狸櫓
正式名は多聞櫓ですが、狸櫓と呼ばれています。その由来ですが「江戸後期の修理の際に、ここに住み着いていた狸が小姓に化けて藩主の寝床に来て命乞いをしたため」と伝えられています。

天守閣
天守閣
美しい天守は1962年(昭和37年)に建築された模擬天守です。天守内は松浦党などの資料館となっており国の重要文化財の環頭大刀(亀岡神社蔵)も展示されています。

復興見奏櫓
復興見奏櫓
復興見奏櫓は模擬天守と同じく1962年(昭和37年)に建てられました。ここからの景色は素晴らしいです。

見奏櫓(左側)と懐柔櫓(右側)
見奏櫓(左側)と懐柔櫓(右側)
いずれも1962年(昭和37年)に建てられた復興建築になります。

平戸港と平戸の町を一望できます。

平戸城へのアクセス


【電車・バスでのアクセス】
JR佐世保駅前にある西肥バスセンターからバスに乗り約90分、「猶興館バス停」または「平戸市役所前」バス停下車、徒歩約10分。

【車でのアクセス】
(福岡方面から)
松浦ICから約30分
(長崎・佐賀方面から)
佐々ICから約35分

【駐車場】
無料駐車場が3カ所にあります。

詳しくは平戸城のウェブページでご確認ください。



訪問日:2022年12月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、平戸城についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。




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