岡山県
倉敷美観地区の町並み(岡山県倉敷市)
1642年(寛永19年)、この地は江戸幕府の天領に定められ、倉敷代官所が置かれました。敷川河畔は周辺で採れる米の集散地として賑わい、備中国南部の物資が集まる拠点として発展してきました。現在においても、倉敷川のほとりには白壁やなまこ壁の屋敷や蔵が立ち並び、天領時代の町並みをよく残しており、1969年には倉敷市の美観地区に指定され、さらに1979年には重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
吹屋の町並み(岡山県高梁市)
吹屋は、江戸時代中期ごろから幕府直轄の吹屋銅山を中心とした鉱山町として発展し、幕末から明治にかけては、ベンガラの生産における日本唯一の大規模産地として大いに繁栄しました。標高550mの山間にありながら、ベンガラ格子と石州瓦が連なる赤褐色の重厚な商家の町並みは現在も残されており、当時の栄華を今に伝えています。
津山城下町の町並み(岡山県津山市)
津山では、1603年(慶長8年)に津山藩の初代藩主・森忠政により津山城の築城が開始され、それに伴い城下町が整備されました。また、津山には出雲街道が通っており宿場町としても発展しました。現在においても津山には江戸時代から明治時代にかけての伝統的な商家や町家が立ち並ぶ町並みが残されています。
新庄宿の町並み(岡山県新庄村)
新庄宿は、出雲街道最大の難所として知られた「四十曲峠」を控えた宿場町です。江戸時代初期から町並みが形成され、1689年(元禄2年)には47軒、江戸時代末期にはおよそ100軒の家々が軒を連ねる宿場へと発展しました。
八塔寺ふるさと村(岡山県備前市)
標高約400メートルの台地にある八塔寺ふるさと村は、かつて山岳仏教の道場として栄えた、歴史ある集落です。現在は、茅葺き屋根の民家や段々畑、水車小屋などが点在し、のどかな農村風景が広がっています。日本の原風景ともいえる昔ながらの景観が、今も大切に守られています。
矢掛宿の町並み(岡山県矢掛町)
古くから山陽道の要地であった矢掛は、1635年(寛永12年)、参勤交代制度が始まると矢掛は山陽道(西国街道)の宿場町に定められ、本陣・脇本陣・問屋が整えられました。現在も矢掛町の街道沿いには江戸時代後期までに形成された地割に、妻入と平入の町家が混在した変化ある町並みがよく残されています。
勝山の町並み(岡山県真庭市)
1764年(明和元年)に勝山を治めることになった三浦明次は城を整備して「勝山城」と名付け城下町を整え、美作勝山藩2万3千石の城下町として発展させました。現在においても街道沿いには白壁に格子窓、なまこ壁の収蔵庫、旭川には高瀬舟の発着場跡など、当時の雰囲気を残す町並が残り、岡山県指定町並保存地区となっています。
美甘の町並み(岡山県真庭市)
美甘(みかも)は、江戸時代初期に、森藩によって町の整備が進められました。街道の往来が活発になるにつれて旅人や商人が行き交い、美甘は出雲街道の重要な宿場として発展しました。現在も新庄川沿いに続く約600メートルの旧街道には、連子格子や白壁、本瓦葺きの町家が残り、往時の宿場町の面影を色濃く伝えています。
新見御殿町の町並み(岡山県新見市)
新見の町は、江戸時代の1697年(元禄10年)、津山から移封された新見藩初代藩主・関長治によって築かれ5万石の城下町として栄え、新見藩関家は、その後明治維新まで9代にわたり続きました。現在も新見の町には当時の面影を感じさせる町屋が多く残されています。
旧勝山町月田の町並み(岡山県真庭市)
旧勝山町月田は勝山と備後国東城を結ぶ東城往来沿いの市場町として栄え、多くの人や物資が行き交いました。現在も月田川沿いには、なまこ壁や出格子、虫籠窓を備えた町家や中二階の古民家が残り、往時の面影を色濃く伝えています。静かな山里の風景の中に、かつての市場町の趣を感じることができます。
総社商店街筋の町並み(岡山県総社市)
総社は、総社宮 の門前町として栄えたほか、松山往来の宿場町、さらに浅尾藩の陣屋町としての役割も担い、多彩な歴史を育んできました。東西約1.9kmにわたって続く商店街筋には、今も100年以上前に建てられた歴史的建築が点在しています。
鹿田の町並み(岡山県真庭市)
鹿田(かった)は、旭川沿いに発展した集落で、江戸時代には勝山藩領の一部として栄えました。落合から備中高梁へ向かう備中往来沿いに位置し、街道交通と旭川の舟運が交わる水陸交通の要衝として発展しました。現在も古い商家などが残り、往時の面影を今に伝えています。
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