古旅 日本の古い町並み

津山城下町の町並み(岡山県津山市)


2024年9月4日  古い町並み , 重要伝統的建造物群保存地区 , 岡山県

【町並み感動度】
★★★★★
★★★★★88

町並み保存度
★★★★★
★★★★★90
出雲街道沿いには多くの町屋が立ち並ぶ風景が残されており、特に城東町並み保存地区の町並みの保存度は素晴らしいものがあります。
町並みの規模
★★★★★
★★★★★95
城東町並み保存地区と城西町並み保存地区の2つの町並みは大変大規模です。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★80
城東町並み保存地区と城西町並み保存地区の2つの町並みの他、津山城、またレトロな洋館や商店街なども色々な楽しみがあります。

津山では、1603年(慶長8年)に津山藩の初代藩主・森忠政により津山城の築城が開始され、それに伴い城下町の整備も進められ、1700年代初期には現在の町並みが完成していたと考えられています。
また、津山城の南側には東西に出雲街道が通っており、この街道沿いには多くの宿場町や商家が立ち並び、宿場町としても発展しました。
出雲街道は、岡山から津山、そして鳥取を経由して出雲へと至る街道で、江戸時代には参勤交代や物資の運搬に利用されていました。

津山には現在においても江戸時代から明治時代にかけての伝統的な商家や町家が立ち並ぶ町並みが残されており、城東町並み保存地区と城西町並み保存地区という2つの地区が重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。


目次

城東町並み保存地区


城東町並み保存地区
津山市には、城東町並み保存地区と城西町並み保存地区という2つの重要伝統的建造物群保存地区があります。城東地区は津山城の東側に広がる町で、江戸時代から商業の中心地として発展しました。特に、出雲街道沿いに商家や町家が並び、商業活動が活発に行われていました。

津山・城東町並み保存地区
出雲街道は、岡山から津山、そして鳥取を経由して出雲へと至る街道で、江戸時代には参勤交代や物資の運搬に利用されていました。

津山・城東町並み保存地区
城東町並み保存地区には白壁の土蔵や格子戸が特徴的な町家が多く残っており、伝統的な商家の建築様式が色濃く反映されています。

津山・城東町並み保存地区
この街道は、地域の経済や文化の中心として機能し、津山の城下町の発展を支えました。また、現在でも特に城東町並み保存地区には見事な町並みが保存されており、往時の姿を偲ぶことができます。

津山・城東町並み保存地区

城東むかし町家(旧梶村邸)・写真左
城東むかし町家(旧梶村邸)・写真左
梶村家は江戸時代の豪商で「札元並」という町役を数代に渡って務めました。旧梶村家住宅の主屋は江戸時代の末期に建てられたもので、現在は「城東むかし町家」として無料で公開されています。

城西町並み保存地区


津山・城西町並み保存地区
城西地区には、城東町と同様に出雲往来沿いに江戸後期から昭和初期に建てられた町家が多く残っています。

津山・城西町並み保存地区
西寺町は津山城下最大の寺町で、江戸時代には22もの寺院が並んでいました。現在も12の寺院が建ち並んでおり、17世紀初頭から20世紀後半の各宗派の建築様式を見ることができます。

鶴山公園(津山城跡)


津山城
津山城は、1603年(慶長8年)に津山藩の初代藩主・森忠政によって築かれました。この城は、鶴山(つるやま)と呼ばれる山の上に建てられたため、「鶴山城(かくざんじょう)」とも呼ばれています。五層の天守閣や多くの櫓をもつ城でしたが、1873年(明治6年)の廃城令により、天守閣を含む多くの建物は解体されました。

津山城
現在、城跡は「津山城址鶴山公園」として整備され、石垣や櫓が復元されています。

アクセス


【電車でのアクセス】
JR津山駅から鶴山公園(津山城跡)まで徒歩約15分
【車でのアクセス】
下の地図の場所に無料駐車場(鶴山公園 (津山城跡) 駐車場)があります。
※城東町並み保存地区には無料の城東観光駐車場が最寄りになります。



訪問日:2024年5月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、津山の町並みについての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。




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