智頭宿の町並み(鳥取県智頭町)
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町並み保存度
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因幡街道沿いに石谷家住宅をはじめと見応えがある建築が残されています。
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町並みの規模
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因幡街道で最大規模の宿場町であった智頭宿。現在もその名残を感じることができます。
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観光魅力度
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因幡街道沿いに石谷家住宅をはじめとする大きな屋敷が建ち並ぶ風景は一見の価値があります。
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因幡街道(智頭往来)と備前街道が合流する場所にある智頭は、奈良時代にはすでに畿内と因幡を結ぶ交通の要地として知られていました。
江戸時代になると、智頭宿には参勤交代で江戸へ向かう鳥取藩主が最初に宿泊する御茶屋が置かれ、奉行所や制札場も設けられるなど、重要な宿場として栄えました。
現在も智頭往来沿いには、往時の繁栄を今に伝える古くからの町家などの歴史ある建物が残されています。なかでも、街道沿いに建つ石谷家住宅は、智頭宿を代表する建物で、国の重要文化財に指定されています。
智頭宿の町並み
因幡街道(智頭往来)の町並み
江戸時代になると、智頭は因幡街道(智頭往来)と備前街道が分かれる交通の要地として発展しました。
参勤交代の道筋にもなり、鳥取藩主・池田家の宿泊地として本陣が置かれるなど、多くの旅人や商人が行き交う宿場町として栄えました。
その繁栄ぶりは大きく、1844年(弘化元年)には小売商人の宿泊が禁止されるほど、多くの人でにぎわったといわれています。
現在も、塩屋石谷家周辺には古い町家が残り、往時の智頭宿の面影を感じることができます。
国指定重要文化財 石谷家住宅
石谷家住宅は、貴族院議員を務めた石谷伝四郎が、1919年(大正8年)から約10年の歳月をかけて建てた大規模な邸宅です。国の重要文化財に指定されています。
約3000坪の広大な敷地には、池泉式の日本庭園を中心に、40の部屋を持つ主屋や7棟の蔵が建ち並びます。近世から近代にかけての建築技術を今に伝える、貴重な建造物です。
新町通りの町並み
1843年(天保14年)の「智頭宿全図」によると、新町通りの橋本屋の東側にある路地は「清水」と呼ばれ、諏訪酒造の裏を抜けてチゴリ荒神へと続く古くからの間道でした。
現在は「清水」の井戸はなくなっていますが、水路には今も豊かな水が流れています。路地の奥には蔵や水路が残り、江戸時代の面影を感じることができます。
田中町・新町は、1889年(明治22年)の大火で大きな被害を受けました。しかし現在も、低い屋根の切妻造りや瓦屋根、格子などを備えた伝統的な商家建築が一部に残されています。
横町通り(備前街道)の町並み
備前街道(作州往来・備前往来)は津山へ通じる街道です。智頭宿は因幡街道(智頭往来)と備前街道が合流する交通の要所として発展しました。
塩屋出店は、塩屋本家の石谷伝三郎の次男・吉兵衛が、天保年間(1830〜1843年)に商売を始めたことが起こりです。「横町の新別家」と呼ばれていました。主屋は1889年(明治22年)の大火で焼失し、現在の建物はその後に建てられたものです。現在は歴史的建造物として保存・修復され、町の人々にも広く活用されています。
アクセス
【電車でのアクセス】
JR因美線、智頭駅から徒歩約10分
【車でのアクセス】
下の地図の場所の智頭宿無料駐車場(無料)を利用できます。
訪問日:2026年8月
最後まで見ていただきありがとうございます。
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