大原宿の町並み(岡山県美作市)
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町並み保存度
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因幡街道沿いに江戸時代後期から明治・大正時代に建てられた町家が並ぶ見事な町並みが残されています。
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町並みの規模
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因幡街道沿い約700mに渡って見応えのある古い町並みが残されています。
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観光魅力度
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石畳に古くからの町屋が並ぶ美しい町並みにもかかわらずお店はほとんどなく、静かな町並みの散策を楽しめます。
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播磨国と因幡国を結ぶ因幡街道は、古くから多くの人や物が行き交う交通の要路でした。江戸時代には鳥取藩主が参勤交代で利用する道となり、大原宿には本陣や脇本陣、問屋などが置かれ、宿場町として栄えました。
現在も町の中心部には、本陣や脇本陣の遺構が残されています。江戸時代後期から明治・大正時代に建てられた町家が並び、往時の宿場町の景観を今に伝えています。
大原宿は、1986年(昭和61年)に岡山県の「町並み保存地区」に指定されました。また、「おかやま歴史の旅百選」や「新日本歩く道紀行100選」にも選ばれ、2017年(平成29年)には「夢街道ルネサンス」の認定地区にも選定されています。
因幡街道 大原宿の町並み
因幡街道は、鳥取(因幡)と姫路(播磨)を結ぶ街道で、山陰側では「上方街道」とも呼ばれていました。古くから人や物が行き交い、経済や文化だけでなく、政治や軍事の面でも重要な役割を果たしてきました。
平安時代には、因幡国の国司として赴任した平時範がこの道を通ったとされます。また、鎌倉時代末期には、後醍醐天皇が船上山から京都へ戻る際にも、この街道を利用したと伝えられています。
江戸時代には鳥取藩主・池田家の参勤交代にも利用され、本陣や脇本陣をはじめ、14軒の旅籠が置かれていました。
町並みには、袖壁やなまこ壁、虫籠窓、通し土間、煙出し、出桁など、当時の建築の工夫を随所に見ることができます。
鳥取藩主が大原宿に宿泊する際には、約700人もの行列が通ったとされ、宿場町は多くの人々でにぎわいました。
現在も大原宿には、歴史ある町家や本陣・脇本陣の遺構が残され、因幡街道の宿場町として栄えた往時の面影を今に伝えています。
歴史ある町並みは保存され、現在も因幡街道の宿場町らしい風情を残しています。なまこ壁や虫籠窓、出桁など、昔ながらの建築の工夫を随所に見ることができます。
鳥取県智頭町の智頭宿、兵庫県佐用町の平福宿とともに、「因幡街道三宿場町」の一つに数えられています。
脇本陣
脇本陣は、江戸時代の宿場町で本陣に次ぐ格式を持つ宿泊施設です。大名や幕府の重臣が本陣に宿泊する際には、家老や奉行などが脇本陣を利用しました。大原宿の脇本陣は、1820年代の文政年間に建てられたとされます。主屋を通りから少し後ろに配置し、広い前庭を設けることで、正面の玄関を際立たせた格式ある造りが特徴です。
大原本陣
大原本陣は、江戸時代に因幡街道を行き交う大名や公家、幕府の役人などが宿泊した施設です。1635年(寛永12年)に参勤交代制度が整えられて以降は、鳥取藩32万石の藩主・池田家も参勤交代の途中に利用しました。現在の建物は、1789年から1801年(寛政年間)に建てられたものとされます。
アクセス
【電車でのアクセス】
智頭急行智頭線・大原駅から徒歩約5分
【車でのアクセス】
下の地図の場所の美作市 大原総合支所の駐車場(無料)を観光用に利用できます。
訪問日:2026年8月
最後まで見ていただきありがとうございます。
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