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太宰治記念館「斜陽館」(青森県五所川原市)


2022年9月18日  寺社など建物 , 青森県

【建物感動度】
★★★★★
★★★★★85

目次

太宰治記念館「斜陽館」


太宰治の生家として知られるこの豪邸は、衆議院議員であった太宰治の父、津島源右衛門によって1907年(明治40年)に建築された入母屋造りの建物です。
階下11室、278坪、二階8室、116坪、付属建物や泉水を配した庭園など合わせて宅地約680坪の非常に大きな邸宅で、米蔵にいたるまで日本三大美林のヒバを使うなど大変贅沢な建築です。
中学進学に伴い1923年(大正12年)に青森市へ転居するまでこの家で暮らした太宰は、「苦悩の年鑑」の中でこの家を「この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何も無い。ただ大きいのである」と書いています。

太宰の死後、1950年(昭和25年)に津島家はこの家を町内の旅館経営者に売却し、旅館「「斜陽館」して平成8年まで46年間にわたって営業されました。「斜陽館」には太宰ファンが多く宿泊に訪れて、中には喫茶店も併設されていたようです。
旅館の営業を終了した後は、1996年(平成8年)金木町が経営者から斜陽館を買い取り、現在は太宰治記念館 「斜陽館」として公開されています。


斜陽館外観


太宰治記念館「斜陽館」外観
太宰治記念館「斜陽館」外観
レンガの塀で囲まれた巨大な入母屋造りの建物が目を引きます。

太宰治記念館「斜陽館」外観
庭園など合わせて宅地約680坪の非常に大きな邸宅です。高い塀に囲まれています。

斜陽館1階


1階内部の様子。圧倒的な広さに驚かされます。
1階内部の様子。圧倒的な広さに驚かされます。

1階東側の板の間
1階東側の板の間

斜陽館・仏壇
1913年(明治46年)の竣工に合わせて、太宰治の津島源右衛門が京都の仏壇店に特別注文したもので、高さ189cm、幅115cmある大変巨大で豪華なものです。

蔵
奥の蔵は米蔵、手前が中の蔵。いずれも巨大な蔵で建物の下の部分が煉瓦造りになっています。

斜陽館1階・店


店
津島家は個人向け金融業を営んでいました。また地主でもあり、最盛期には小作人が300戸近くもいたそうです。当時、「秋払い」という秋の収穫を見越して融資するシステムがあり、小作人と帳場の人の話し合いがここで行われていました。太宰は、家の商売があまり好きになれなかったようです。

金庫
高さ110cm、幅79cm、奥行き63cmの大きな金庫は1897(明治30)年製で、明治時代末から大正時代に使用されていたようです。この金庫は戦後、売却されていましたが、2012年に購入された家の方が寄贈され64年ぶりにこの場所に戻されました。

斜陽館2階


洋間に続く洋風のけやきの階段
洋間に続く洋風のけやきの階段
斜陽館は和洋折衷の建物で階段回りは完全に洋風です。天井やシャンデリアなど細部まで豪華でこだわりを感じます。

洋間
洋間

金襖の日本間
金襖の日本間
こちらは日本間。身分の高い来客が泊まったようです。

斜陽館周辺


金木山 雲祥寺


金木山雲祥寺は400年にわたる歴史がある奥津軽最大の寺院で、太宰治の「思ひ出」に紹介されてから多くの観光客が訪れるようになりました。


金木山 雲祥寺

金木山 雲祥寺の老松
この老松は樹齢500年以上と伝えられ、雲祥寺創建以前からこの地にありました。

津軽三味線会館


津軽三味線会館は斜陽館の駐車場の奥にあります。
金木町は津軽三味線発祥の地として知られます。金木町の出身の津軽三味線の始祖、神原の仁太坊とその門下によって津軽三味線の木曽が築かれました。
記念館では津軽三味線の演奏を実際に見ることができ、この時は津軽三味線の歴史についても実演とともに説明してくれました。


津軽三味線会館

アクセス



太宰治記念館「斜陽館」は五所川原市の旧金木町の中心部にあります。
【電車でのアクセス】
JR五所川原駅から津軽鉄道で30分、金木駅で下車、徒歩約7分。
【車でのアクセス】
青森空港から車で約1時間10分程度です。
下の地図の場所に無料駐車場(斜陽館向かいの観光物産館駐車場)があります。



訪問日:2022年7月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、太宰治記念館「斜陽館」についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。




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