古旅 日本の古い町並み

島原城(長崎県島原市)


2023年3月31日  , 長崎県

【城感動度】
★★★★★
★★★★★47

城保存度
★★★★★
★★★★★30
建築物は全て廃城令によって解体されましたが、天守や櫓、長塀が昭和に再建されています。
城の規模
★★★★★
★★★★★50
東西約350m、南北約1,200mの長方形の形をした城郭で、長塀が幾層にも重なる石垣や五層天守閣は壮大です。
城魅力度
★★★★★
★★★★★60
城の周りには見ごたえのある島原武家屋敷街のほか、鯉の泳ぐまち、商店街もあり城下町散策を楽しめます。

近年、徐々に建造物が復元され、1960年(昭和35年)に西の櫓、1964年(昭和39年)に天守閣、1972年(昭和47年)に巽の櫓(西望記念館)、1980年(昭和55年)に丑寅の櫓(民具資料館)と長塀復元が復元されました。

1616年(元和2年)に肥前国日野江(後の島原藩)の藩主であった有馬直純が日向国延岡藩に転封になったため、代わって松倉重政が有馬氏の居城であった日野江城に入りました。しかし日野江城は手狭であったため松倉重政はすぐに島原城の築城を開始し1624年(寛永元年)に完成しました。
しかし重政や二代目藩主の勝家が農民への過酷な年貢の取り立てやキリシタンの迫害を行ったことから1637年(寛永14年)に島原の乱が勃発しました。領内を騒乱に導いた責により勝家は斬首になり、松倉氏は大名の身分を失いました。代わって1638年(寛永15年)、高力忠房が入封し、以後、譜代大名が4家入れ替わっています。
1871年(明治4年)の廃藩置県、1874年(明治7年)の廃城令を受けて、1876年(明治9年)天守を含む建造物は取り壊されました。

近年、徐々に建造物が復元され、1960年(昭和35年)に西の櫓、1964年(昭和39年)に天守閣、1972年(昭和47年)に巽の櫓(西望記念館)、1980年(昭和55年)に丑寅の櫓(民具資料館)と長塀が復元され、在りし日の姿を偲ぶことができます。


目次

島原城(長崎県島原市)


島原城(長崎県島原市)
長塀が幾層にも重なる壮大な石垣です。五層天守は改修工事中のため 足場幕に隠れています。

島原城 西の入口
西の入口から西櫓が見えます。この入口は観光用に作られたもののようです。

西の櫓
西の櫓は1960年(昭和35年)に復元されました。内部には全国各地の伝統的な人形などが展示されています。

本丸 修復中の天守閣(キリシタン史料館)
本丸 修復中の天守閣(キリシタン史料館)
1964年(昭和39年)に復元された天守閣ですが、この時は2024年の築城400年を前に天守の改修工事が行われていました。(2023年2月に工事が終了しました)

丑寅の櫓(民具資料館)
丑寅の櫓(民具資料館)

丑寅の櫓(民具資料館)
丑寅の櫓の内部は「民具資料館」になっています。無料で公開されています。

城下の町並み(鯉の泳ぐまち)


城下の町並み(鯉の泳ぐまち)
島原には至る所に湧水があり、古くから水の都といわれています。昭和60年には「島原湧水群」として日本名水百選に指定されています。中でも新町は湧き水が豊富な地域で全長100メートルの水路があり、別名「鯉の泳ぐまち」と呼ばれています。

城下の町並み(鯉の泳ぐまち)

旧伊東氏庭園(四明荘)
旧伊東氏庭園(四明荘)

旧三村家住宅(しまばら湧水館)
旧三村家住宅(しまばら湧水館)

サンシャイン中央街
サンシャイン中央街

島原城へのアクセス


【電車でのアクセス】
島原鉄道・島原駅から徒歩約10分です。

【駐車場】
城内(下の地図のポイントの場所)に駐車場(有料 乗用車1回330円)があります。



訪問日:2022年12月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、島原城についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。




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