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岡城跡(大分県竹田市)


2023年11月22日  , 大分県

【城感動度】
★★★★★
★★★★★90

城保存度
★★★★★
★★★★★85
明治の廃城令により、岡城内の建築物は全てなくなりましたが、断崖絶壁の地に築かれた見事な石垣はそのまま残されています。
城の規模
★★★★★
★★★★★95
天神山に築かれた山城で城域は東西2500m南北362mと大変広大です。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★90
起伏を利用した石垣は見事で一見の価値があります。広大な山城は散策に最適です。

岡城跡


岡城は、稲葉川と白滝川に挟まれた標高325メートルの天神山に築かれた山城で、城域は東西2500m、南北362mと大変広大です。

岡城の歴史は古く、1185年(文治元年)に緒方惟義が源頼朝に追われた源義経をかくまうために築城したという伝説にはじまります。
1369年(応安2年)に岡城は志賀氏の居城となり、1586年(天正14年)の豊薩戦争では島津の大軍に攻撃されるも志賀親次が撃退したことにより岡城は「難攻不落の城」として、その堅固さが世に広く知れ渡るようになりました。
志賀氏に代わって1594年(文禄3年)に播磨国三木城から入部した中川秀成によって大改築が行われ、それまでの山城から総石垣の近世城郭へと変貌を遂げ、大手門・近戸門・下原門を設け御殿など多くの建物が建設されました。

明治になると廃城令により、岡城内の建築物はすべて破却されましたが、断崖絶壁の地に築かれた石垣は今なお残りその壮大さを伝えています。


目次

大手門


大手門跡
岡城では、1594年(文禄3年)中川氏の入部後、大手門・近戸門(ちかどもん)・下原門(しもばるもん)の三つの門が設けられました。かつての大手門はここよりも東側に設けられていましたが、1612年(慶長17年)に岡城へ立ち寄った築城の名手、藤堂高虎の意見によって、今のように西向きに替えたと伝えられています。

大手門跡
門が設置されていた形跡が残されています。

岡城内の石垣


岡城跡
城内には起伏を活かした石垣があちらこちらにあり、山城ならではの景色が楽しめます。

岡城跡
少年時代を竹田で過ごした瀧廉太郎は、よく遊んだ岡城跡を思って名曲「荒城の月」を作曲したといわれています。

本丸跡


岡城跡
岡城内の建築物はすべて破却されましたが、断崖絶壁の地に築かれた石垣は今なお残りその壮大さを伝えています。

太鼓櫓跡
太鼓櫓跡

平面復元された中川覚左衛門屋敷跡


中川覚左衛門屋敷跡
覚左衛門家は藩主中川家に代々仕え、中川の姓を賜り、1745年にこの屋敷地に移りました。1993年(平成5年)から屋敷跡の発掘調査が行われ、その後平面復元されました。平面復元された屋敷は、約200坪の広さがあり、復元には日田杉が使用されています。

アクセス


岡城跡への入場は有料(高校生以上300円)です。
詳しくは岡城跡のウェブサイトでご確認ください。

【電車でのアクセス】
JR豊後竹田駅より、徒歩30分(タクシーであれば5分)
豊後竹田駅構内の竹田観光案内所でレンタサイクルを借りることも可能です。

【車でのアクセス】
下の地図の場所に無料駐車場があります。
岡城跡への入場は有料(高校生以上300円)です。
詳しくは岡城跡のウェブサイトでご確認ください。

訪問日:2023年3月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、岡城跡についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。




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