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鹿児島城(別名:鶴丸城)(鹿児島市)


2023年10月3日  , 鹿児島県

【城感動度】
★★★★★
★★★★★37

城保存度
★★★★★
★★★★★30
石垣や堀、御楼門との間に架かる石橋が現存しています。
御楼門周辺の石垣には西南戦争の弾痕が数多く残されていて興味深いものになっています。
城の規模
★★★★★
★★★★★40
城の大きさは南北750m、東西200mで、城山を合わると約26万平方メートルといわれます。
ただ、復元された御楼門を含めても城の遺構はそれほど多くありません。
観光魅力度
★★★★★
★★★★★40
鹿児島市の中心にあり、市内観光に便利です。すぐ近くに鹿児島の歴史を学ぶことができる「黎明館(料金…400円)」や有名な西郷隆盛像もあります。

鹿児島城の概要


鹿児島城は、慶長6(1601)年頃、後に初代薩摩藩主となる島津家久(第18代当主)によって築城され、以降、廃藩置県まで島津氏の居城でした。
築城された当初は、背後の城山に本丸と二之丸を置き、麓には屋形を置いて藩主の居所としていましたが、江戸時代の後半には本丸と二之丸は麓の居所を指すようになりました。
鹿児島城は災害やシロアリ被害によって倒壊や焼失を繰り返しており、その度に建て替えが行われてきましたが、1874年(明治7年)に焼失したのちは再建されることはありませんでした。
2006年(平成18年)、日本100名城(97番)に選定され、2020年(令和2年)には城のシンボルである御楼門が再建されました。


目次

御楼門と石橋


御楼門(ごろうもん)
御楼門(ごろうもん)は鹿児島城の正面中央に城のシンボルとしてありましたが、1873年(明治6年)の火災で焼失しました。現在の御楼門は鹿児島県民の取組によって2020年(令和2年)3月に147年ぶりに復元されたものです。日本最大級ともいわれる青銅製の鯱を大屋根に載せた日本最大の城門は古写真の解析や現存する礎石をもとに史実に忠実に復元されています。

鹿児島(鶴丸)城 石橋
御楼門の前に架かる橋は当初は板橋でしたが、1810年(文化7)年に薩摩藩が幕府へ願い出て、石橋に架け替えられました。

石垣


御楼門周辺の石垣
御楼門周辺の石垣には1877年(明治10年)の西南戦争の痕跡が残されています。石垣にある無数のくぼみをよく見ると銃弾や砲弾の破片が食い込んでいるものもあります。

石垣(金場取残積み 亀甲積み 算木積み)
石垣(金場取残積み 亀甲積み 算木積み)
城の前には、「金場取残積み」「亀甲積み」「算木積み」それぞれの石垣の造られ方の違いについて展示されています。

御楼門と排水溝の整備


御楼門と排水溝の整備
鹿児島城では雨水を機能的に排出するため、多数の石造りの排水溝を巡らせており、2016年(平成28年)度の発掘調査では石垣に沿うよう造られた排水溝が確認されました。この発掘調査から江戸時代の排水溝は複数回にわたる付け替えなどの維持管理を行いながら長期にわたって使用され続けていたことが分かっています。

アクセス


【電車→バスでのアクセス】
JR鹿児島中央駅から周遊バス「カゴシマシティビュー」で、バス停「薩摩義士碑前」下車、徒歩すぐ

【市電でのアクセス】
市電(またはバス)で「市役所前・水族館口」下車、徒歩7分

【車でのアクセス】
下の地図の場所に「黎明館駐車場」(「黎明館(料金…400円)」を利用すると無料)があります。黎明館では鹿児島の歴史に関する展示物を見ることができます。
黎明館の無料駐車場について詳しくは鹿児島県のウェブサイトでご確認ください。



訪問日:2023年2月




最後まで見ていただきありがとうございます。
ご感想や、鹿児島城についての思い出、これから出かけられる方に役立つ情報等ございましたら、コメント欄で教えていただけると幸いです。




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